ぶりにこの辺まで上って来たものらしく、さっきからしきりに此処《ここ》いらまでよく遊びに来たことのある昔のことを思い出してはひとりで懐《なつか》しがっている。私は私で、こんなユトリロ好みの風景のうちに新鮮な喜びを見出《みいだ》している。こんな家に自分もこのまま半年ばかり落着いて暮らしてみたいもんだなあと空想したり、こういうところでその幼時を過したT君のことを羨《うらや》ましがったりしながら、だんだん狭くなってくる坂を上ったり下りたりしているうちに、今度はT君の方が首をかしげだした。どうやら彼自身のこんがらがった幼時の思い出をほごすのにあんまり夢中になり過ぎていたT君は、いつの間にやら、私たちの目指《めざ》している外人墓地への方角を間違えてしまっているらしかった。その挙句《あげく》に漸《ようや》っと彼は、私たちが飛んでもない見当ちがいな、或る丘の頂きに上って来てしまったことを、気まり悪そうに私に白状した。そうして私たちの上って来たやや険しい道は、一軒の古い大きな風変りな異人屋敷――その一端に六角形の望楼のようなものが唐突《とうとつ》な感じでくっついている、そして棕梠《しゅろ》だのオリイブだのの珍奇な植物がシンメトリックな構図で植わっている美しい庭園をもった、一つの洋館の前で、行きづまりになっていた。そうして少しがっかりして、息をはずませながら、その風変りな家に見とれている私たちの姿を目ざとく認めると、黄色に塗られた鉄柵《てっさく》ごしに、その庭園の中から一匹のシェパアドが又しても私たちに吠《ほ》え出した。私はあんまり犬が好きじゃないのだ。どうもこの辺もいいけれど、もの静かに散歩をするには、すこしシェパアドが多過ぎるようだ。

 夕方、私たちは下町のユウハイムという古びた独乙《ドイツ》菓子屋の、奥まった大きなストーブに体を温めながら、ほっと一息ついていた。其処《そこ》には私たちの他に、もう一組、片隅《かたすみ》の長椅子に独乙人らしい一対の男女が並んで凭《よ》りかかりながら、そうしてときどきお互の顔をしげしげと見合いながら、無言のまんま菓子を突っついているきりだった。その店の奥がこんなにもひっそりとしているのに引きかえ、店先きは、入れ代り立ち代りせわしそうに這入《はい》ってきては、どっさり菓子を買って、それから再びせわしそうに出てゆく、大部分は外人の客たちで、目まぐるしいく
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