てなかなか好くなるよ。」そのとき私は妻にそんな説明をしながらその家の入口を指し示した。
「『道のべは人の家に入り豆の花』――これは犀星《さいせい》先生の句だがね。ちょっとそんな感じだ。」
 が、はじめてその家のなかへはいって見て、案外方々が傷《いた》んでいるのに驚いた。その上、家のすぐ裏のわずかな空地にもってきて、外からは見えなかったが、納屋《なや》のようなものが立っていて、家全体がいかにも暗ぼったい感じがするので、「あれは何なの?」ときいてみると、「それはいずれ取壊《とりこわ》そうと思っていますが……」と不二男さんは言って、その小屋には日向さんの爺《じい》やがしばらく仮住みしていたが、その前年の冬にそこで死んで行ったことを包まずに話した。
「ここの家、傷んでいるだけ位ならいいんだけれど、あんなものがあっては」……妻はそう私にそっと耳打ちしたが、それには私も同感だった。若しかすると昔ちょいちょい見かけたことのあるその死んだ爺やの顔――目つきのこわい、因業《いんごう》そうな爺やの顔がふいとその瞬間鮮かに浮んで来ただけ、その閉された小屋は妻がそれをうす気味悪がった以上に、私自身の心に暗い影
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