顔を上げながら、
「ああ、もう啼かなくなった」と何気なさそうにいった。なんでもないことだのに、私はそれに気がつくと何かしらはっとした。
深沢さんは、又ひとりでスケッチブックをとり出して、縁先に腰かけたまま、その花さいた朴の木を見上げ見上げ写生していた。
二
午後から、深沢さんが一人で雑木林に写生に行っている間、私は妻と一緒に宿の主《あるじ》の不二男さんの案内で、今年借りることにした近所の林の中にある家を見に出掛けた。
その小さな家は昔から私も知っていた。夏になると入口の棚《たな》に赤だの白だのの豆の花が咲いて、その下を潜《くぐ》りながら、毎年違った人達――或《ある》年には外人の一家もいたことがある――が出たり入ったりしているのがちょっと好もしい眺《なが》めだった。それは外にも大きな別荘を持っていた日向《ひゅうが》さんという未亡人の持物で、冬の間別荘番に住まわせるために建ててあったのだが、夏場だけ人に借していたのである。
実は去年も私達はそれを借りかけて、矢っ張宿の主《あるじ》の不二男さんと一緒にそれを見に行ったことがあった。
「夏になると、これに豆の花が咲い
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