いますと、爺やはそこも素通りして、ずんずん日向さんの家へはいって行って、裏の方へまわったらしくそのまま姿を消してしまいましたので、うちの爺やが日向の爺やのところを訪《たず》ねて行くなんて珍らしい事もあればあるもんだと、ちょっと怪訝《けげん》におもいましたが、私はそのときはそれを見届けたきりで先きに帰って来てしまいました。
「その晩、私は爺やを炬燵《こたつ》の中へ呼んで、『珍らしいことをきいたが、爺やは何んだってな、この頃日向の爺やのところへ入浸しになっているそうじゃないか、どうしたんだい』と知らん顔をして訊きますと、爺やは神妙な顔をして、『病気だもんで、わっしゃちょっくら見舞ってやってるだあ』と何んの事もなさそうに言います。どんな塩梅《あんばい》だときいてみると、爺やの話ではよく分かりませんが、どうも胃癌《いがん》らしい。それにもう寝たっきりで、再起ののぞみもないようでした。「おかしなもので、ふだんはあんなに仲の悪かったうちの爺やが、相手がそんな具合に病気になってしまうと何かと一人で面倒を見てやっていたのです。そんな昔の喧嘩相手の世話になりきっている向うの爺やも爺やです。しかし冬になる
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