のことであった。その村を一目に見下ろすことの出来る頂上で少し遊んだ後、こんどはすぐ裏側の谷へ抜け、殆《ほとん》ど水が涸《か》れて河床の露出した谷川に沿いながら、村の方へ下りて来た。雑木林はなかなか尽きそうで尽きなかった。漸《ようや》くその雑木林の中に見おぼえのある一軒の別荘が見え出した。私達は去年の落葉の溜《た》まったその張出縁を借りて一休みして行くことにした。
 女の画家らしく草花などを描くことの好きな深沢さんは、ひとり離れて縁先に腰を下ろしながら、道ばたで写生して来たさまざまな花の絵に軽く絵具をなすっていたがそれを一とおりすますと、絵具函《えのぐばこ》を脇《わき》に置いて、気軽くひょいと仰向けにそこへ寝そべろうとした。と、急に起上って、「あら、あんな真白な花が咲いている。」そう頭上を指《さ》しながら、もとのように腰をかけなおして、まぶしそうにそっちの方を見上げた。「いい花だなあ。ちょっと泰山木《たいさんぼく》みたいだけれど……」
 私も妻も立ち上って行って、一しょにそれを見上げた。妻がいった。「泰山木にしては葉がすこし……。」
 そう言われて、私は漸っと他の楢《なら》や櫨《はぜ》の
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