やたちによく言って聞かせて、約束の金どころか、殆ど一文もおやりにならなかったようでした。そのときは爺やも奥さんの立場に同情して何んとも苦情を云わずに、その後も昔と変らずに留守を預っておりました。
「が、それ以来、爺やたちは全然収入の目あても無くなった訣《わけ》ですから、何んで食っているのか、私どもにはさっぱり見当もつきませんでした。それは丁度いま時分のような夏になろうとする頃で、一方では日向さんの別荘を買いとるや、すぐ新しい普請をしだして、どんどん元の古い家は取り壊しはじめていました。爺やたちの住んでいた小家の方は、そのとき一しょにお売りにならなかったので、昔のまま日向さんの所有になっていましたが、夏の借り手は私どもの世話でもう去年の秋からきまっていましたので爺やたちはどうする気だろうと思っていますと、或日、爺やたちは取り壊した別荘の古材木や古ブリキなぞを少し分けて貰《もら》って来て、裏の五坪ほどあった空地へもってきて、自分たちの手で掘立小屋のようなものを建て出しました。何んでも出来る器用な爺やでしたから、何もかも一人でやって、夏の来る前までにはともかくも其処《そこ》にじいさんばあさん差し向いで暮らせるようなものが出来上りました。
「その夏、その小家は入口の棚に豆の花を相変らず美しく咲かせました。その年の借り手は珍らしく若い外人夫婦で、五つ位の、金髪に大きなリボンを結んだ可愛らしい女の子がいました。主人の方は横浜の商会に勤めていて、土曜の夕方になるとやって来ては、また月曜の朝早く帰って行くという風で、小綺麗《こぎれい》な若い妻君がその小さなお嬢さんを相手に物静かに暮らしていました。
「最初のうちは、その裏の掘立小屋に引っ込んだ爺やたちもごくおとなしく暮らしていたようです。が、人一倍強情な爺やの方はともかくも、婆さんの方はよくそれまで辛抱したものですが、それは女の料簡《りょうけん》ですから、たまには愚痴の一つも出るでしょう。そうすると爺やは大へんに慍《おこ》ります。そのうちそれがだんだん夫婦|喧嘩《げんか》になってきて、夏の半ばも過ぎた時分には、つい隣りの外人の家族たちにも手にとるように聞えるようになる、――何しろ、ふだんからむっつりとして、こわいような爺やのことですから、すっかりその若い外人の妻君が怖気《おじけ》づいてしまって、九月一ぱいという約束でしたのが八月の末
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