それらの花がひとつ残らず何処かに立ち去ってしまった今は、そんな灌木のあることにすら全然気づこうとしなかった私に対して、それが精一杯《せいいっぱい》の復讐《ふくしゅう》をしようとして、そんな風に私のジャケツを噛《か》み破ったかのようにさえ私には思えた。……そういう花のすっかり無くなった野薔薇をしばらく前にしながら、私はいつか知らず識《し》らずに、それらの白い小さな花のように何処へともなく私から去っていった少女たちのことを思い出していた。……この頃、ともすると、一人の新しい少女のために、そんな昔《むかし》の少女たちのことを忘れがちであったが、そう言えば、彼女たちがこの村においおいとやって来る時期ももう間ぢかに迫《せま》っているのだ。彼女たちが来ないうちに私はこの村をさっと立ち去ってしまった方がいい。そうしなくっちゃいけない。――そう自分で自分に言って聞かせるようにしながら、その一方ではまた、この頃やっと自分の手に這入《はい》りかけている新しい幸福を、そうあっさりと見棄《みす》てて行けるだろうかどうかと疑っていた。そうして私は自分の気持をそのどちらにも片づけることが出来ずに、自分で自分を持て
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