ゅうぜん》され始めるので――)その次ぎの日の、その少女の父の出発、それから他《ほか》にはまだ一人も滞在客《たいざいきゃく》のないそんな別館での、その少女と二人っきりの、背中合わせの暮らし……。
しかし私は毎日のように、ほとんど部屋に閉じこもったきりで、自分の仕事に没頭《ぼっとう》していた。その私の書きつつある「美しい村」という物語は、六月頃からこの村に滞在している私が、そんなまだ季節はずれの、すっからかんとした高原で出会ったことを、それからそれへと書いて行ったものだった。そうして私は丁度いま、私がそれまで昔の恋人《こいびと》に対する一種の顧慮《こりょ》から、その物語の裏側から、そして唯《ただ》、それによってその淡々《たんたん》とした物語に或る物悲しい陰影《ニュアンス》を与《あた》えるばかりで満足しようとしていた、この村での数年前の彼女たちとの花やかな交際の思い出、ことにこの村での彼女たちとの最初の歓《よろこ》ばしい出会いを、とある日、道ばたに咲き揃《そろ》っている野薔薇《のばら》の花がまざまざと私のうちに蘇《よみがえ》らせ、それが遂《つい》に思いがけぬ出口を見つけた地下水のように、そ
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