ぶった黄いろい帽子と、その鍔《つば》のかげにきらきらと光っていた特徴《とくちょう》のある眼《まな》ざしとよりほかには、殆《ほと》んど何も見覚えのない位であった。……やがて別館から彼女の父らしいものが姿を現した。そしてその二人づれは私の窓の前を斜《なな》めに横切って行ったが、見ると、彼女はその父よりも背が高いくらいであった。そしてその父らしいものが彼女にしきりに話しかけるのに、彼女はいかにも気がなさそうに返事をしながら、いつまでも私の方へ躑躅《つつじ》の茂みごしにその特徴のある眼ざしをそそぎつづけていた。……その二人が中庭を立ち去ってしまった跡《あと》も、私はしばらく、今しがたまでその少女が向日葵《ひまわり》のように立っていた窓ぎわの方へ、すこし空虚《うつろ》になった眼ざしをやっていたが、ふと気づくと、そこいらへんの感じが、それまでとは何んだかすっかり変ってしまっているのだ。私の知らぬ間に、そこいら一面には、夏らしい匂《にお》いが漂《ただよ》い出しているのだった。……
 その日の夕方の、別館の方への私の引越《ひっこ》し、(今まで私の一人《ひとり》で暮らしていた、古い離《はな》れが修繕《し
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