ついた。ふとさっきの人のしていた異様な手つきがまざまざと蘇《よみがえ》った。そうしてその小さな茂みがマイ・ミクスチュアらしい香《かお》りを漂《ただよ》わせているのに気がついたのもそれと殆《ほと》んど同時だった。湿《しめ》った空気のために何時《いつ》までもそのこんがらかった枝にからみついて消えずにいるその香りは、まるでその小さな茂みそのものから発せられているかのように思われた。
――私はいつもパイプを口から離《はな》したことのないレエノルズさんのことを思い出した。そして今の人影はその老医師にちがいないと思った。そう言えば、さっきから向うの方に霧のために見えたり隠《かく》れたりしている赤茶けたものは、そのサナトリウムの建物らしかった。
私は再び霧のなかの道を、神々《こうごう》しいような薄光りに包まれながら、いくら歩いてもちっとも自分の体が進まないようなもどかしさを感じながら、あてもなく歩き続ていた。私の心はさっき霧の中から私を訴えるような眼つきで見上げた野薔薇のことで一杯《いっぱい》になっていた。私はそれらの白い小さな花を私の詩のためにさんざん使って置きながら、今日までその本物をろくすっ
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