《ぐみ》だ」と彼等は返事をした。そうして彼等はときどき私の方をふり向いて手招きをしたが、私が下生えに邪魔《じゃま》をされてなかなか其処まで行くことが出来ずにいると、大きい方の子がその実を少しばかり私のために持って来てくれた。私は子供たちの真似《まね》をしてそれを一つずつこわごわ口に入れてみた。なんだか酸《す》っぱかった。私はしかしそれをみんな我慢《がまん》をして嚥《の》み込んだ。そうして子供たちが低い枝にあった実をすっかり食べつくしてしまうと、今度は高くて容易に手の届きそうもない枝をしきりに手《た》ぐろうとしては失敗しているのを、私は根気よく、むしろ面白《おもしろ》いものでも見ているように見入っていた。
子供たちはまた林の中のいろいろな抜《ぬ》け道を私に教えてくれようとした。そうして急な草深い斜面《しゃめん》をずんずん駈け下りて行った。私はそのあとから危かしそうな足つきでついて行った。ほとんど何処からも日の射《さ》し込んで来ないくらい、木立が密生して枝と枝との入りまじっているところもあった。かと思うと急に私たちの目の前が展《ひら》けて、ちょっとの間何も見えなくなるくらい明るい林のなかの空地があったりした。私たちがそういう林の中の空地の一つへ辿《たど》り着いた時、突然《とつぜん》、一つの小石が何処《どこ》からともなく飛んで来て私たちの足許《あしもと》に落ちた。その飛んで来たらしい方を私たちがまぶしそうに振《ふ》り向いた途端《とたん》、数本の山毛欅《ぶな》を背にしながら、ほとんど垂直なほど急な勾配《こうばい》の藁屋根《わらやね》をもった、窓もなんにもないような異様な小屋の蔭《かげ》へ、小さな黒い人影《ひとかげ》が隠れるのを私たちは認めた。それを知っても、しかし、私の小さな同伴者《どうはんしゃ》たちは何も罵《ののし》ろうとせず、却《かえ》って私に向って何かその言訣《いいわけ》でもしたいような、そしてそれを私に言い出したものかどうかと躊躇《ためら》っているような、複雑な表情をして私の方を見上げているので、私は不審《ふしん》そうに、
「あの子は白痴《ばか》なのかい?」と訊いた。
子供たちは顔を見合わせていた。それから大きい方の子が低声《こごえ》で私に答えた。
「そうじゃないよ。――あれあ気ちがいの娘《むすめ》だ」
「ふん、それであんな変な家にいるんだね?」
「あれあ氷倉《こおりぐら》だ。――あの向うの家だ」
しかしその氷倉だという異様な恰好《かっこう》をした藁小屋に遮《さえ》ぎられて、その家らしいものの一部分すら見えないところを見ると、恐《おそ》らく小さな掘立《ほったて》小屋かなんかに違《ちが》いなかった。
「気ちがいっておとっつぁんがかい?」
「……」兄も弟も同時に頭を振った。
「じゃ、おっかさんの方だね?」
「うん……」そう答えてから、兄は弟の方を見い見い誰《だれ》に言うともなく言った。「ときどき川んなかで呶鳴《どな》っているなあ」
「おれも一度向うの川で見た」弟の返事である。
「向うって何処だ?」
「向うの方だ」弟は何んだか自信のなさそうな、いまにも泣き出しそうな顔をして、漠然《ばくぜん》と或《あ》る方向を私に指して見せた。
「そうか」私はわかったような振りをした。「……おとっつあんは何をしているんだ?」
「木樵《きこ》りだなあ」とこんどはまた兄が弟の方を見い見い言った。
「変なとっつあんだ」弟は顔をしかめながらそれに答えた。
氷倉の蔭から、再びちらりと小娘らしい顔が出たようだったけれど、私たちの方からは丁度逆光線だったので、よくもそれを見分けないうちに、その顔はすぐ引っ込んでしまった。それっきりその小娘は顔を出さなかった。ただ私たちはそれから間もなく異様な叫《さけ》びを耳にした。それはその小娘が私たちを罵ったのか、それとも私たちには見えぬ小屋の中からその小娘に向ってそれが叫ばれたのか、それとも又《また》、その裏の林のなかで山鳩《やまばと》でも啼《な》いたのだろうか? ともかくも、その得体《えたい》の知れぬアクセントだけが妙《みょう》に私の耳にこびりついた。――が、私たちは無言のまま、ただちょっと足を早めながら、その空地を横切って行った。私たちはそれから再び林の中へ這入《はい》った。その中へ這入ると急に薄暗《うすぐら》くなったようだけれど、私たちの眼底にはいまの空地の明るさがこびりついているせいか、暫《しば》らく私たちの周りには一種異様な薄明りが漂《ただよ》っているように見えた。そんな林の中をずんずん先きになって駈《か》け下りて行く子供たちの跡《あと》について行きながら、彼等がいまだに何となく昂奮《こうふん》しているらしいのを、私は漠然と感じていた。そうして、こんな風に彼等と一緒に峠を下りて行く私は一体彼等にはどんな人間に
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