。そしてその一方の花畑などは、水車の道を越《こ》して、更《さ》らにその道の向うまで氾濫《はんらん》していた。……つい先頃までは、あんなに何処《どこ》もかしこも花だらけであったこの村では、この二軒の花屋は、ほとんどその存在さえ人々から忘れられていた位であったが、やがてその季節が過ぎ、それらの野生の花がすっかり散って、それと入れ代りに今度は、これらの畑で人工的に育て上げられた、さまざまな珍らしい花が、一どにどっと咲《さ》き出したものだから、その横町を通り抜ける者は誰《だれ》しもその美しい花畑に眸《ひとみ》をみはらないものは無いくらいであった。だが、その二軒並んだ花屋の前を通りすがりに、注意をしてそれらの店の奥《おく》に坐《すわ》っている花屋の主人たちに目を止めた者は、一層の愕《おどろ》きのためにその眸をもっと大きくせずにはいられなかったであろう。と言うのは、その一方の店の奥にきょとんと坐っている白い碁盤縞《ごばんじま》のシャツを着た小柄《こがら》な老人を認めたのち、次の花屋の前にさしかかると、何んとその奥にも、つい今しがたもう一方の奥に見かけたばかりのと寸分も異《ちが》わない、小柄な老人が、やはり同じような白い碁盤縞のシャツを着て、きょとんと腰《こし》をかけ、往来の方を眺めているのに気づくだろうからだ。ただ異うのは、そんな二人のそばに坐っているのが、一方はいつも髪《かみ》の毛をくしゃくしゃにさせた、肥《ふと》っちょの女房《にょうぼう》であったし、もう一方はそれと好対照をしている位に痩《や》せっぽちの、すこし藪睨《やぶにら》みらしい女房であることだ。つまり、その二軒の花屋の老いたる主人たちは、ほとんど瓜《うり》二つと云《い》っていいほどの、兄弟なのであった。その上、可笑《おか》しいことには、この花屋の兄弟はとても仲が悪くて、夏場だけはお互《たがい》に仲好《なかよ》さそうに口を利《き》き合いながら商売をしているが、さて夏場が過ぎてしまうと、すぐに性懲《しょうこ》りもなく喧嘩《けんか》をし始め、冬の間などは、お互に一言も口を利かずに過ごすようなことさえあると言うことだった。――そんな風変りな二軒の花屋のある横町には、道ばたに数本の小さな樅《もみ》と楓《かえで》とが植えられてあったが、その一番手前の小さな楓の木に、ついこの間のこと、「売物モミ二本、カエデ三本」という真新しい木札
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