もあった。
そんな風に、私は彼女と暮方近い林のなかを歩きながら、まだ私が彼女を知らなかった頃、一人でそこいらをあてもなく散歩をしていたときは、あんなにも私の愛していた瑞西《スイス》式のバンガロオだの、美しい灌木《かんぼく》だの、羊歯《しだ》だのを、彼女に指して見せながら、私はなんだか不思議な気がした。それ等のものが今ではもう私には魅力《みりょく》もなんにも無くなってしまっていたからだ。そうして私は彼女の手前、それ等のものを今でも愛しているように見せかけるのに一種の努力をさえしなければならなかった。それほど、私自身は私のそばにいる彼女のことで一ぱいになってしまっているのだった。……そうしてそんな薄《うす》ぐらい道ばたなどで、私は私の方に身を靠《もた》せかけてそれ等のものをよく見ようとしている彼女のしなやかな肩へじっと目を注ぎながら、そっとその肩へ私の手をかけても彼女はそれを決して拒《こば》みはしないだろうと思った。そして私は或《あ》る時などは、その肩へさりげないように私の手をかけようとして、彼女の方へ私の上半身を傾《かたむ》けかけた。私の心臓は急にどきどきしだした。が、それよりももっとはげしく彼女の心臓が鼓動《こどう》しているのを、その瞬間、私は耳にした。そしてそれが私に、そういう愛撫《あいぶ》を、ほんのそのデッサンだけで終らせた。……私はまだその本物を知らないのだけれど、それが与えるのとちっとも異《ちが》わないような特異《ユニイク》な快さを、そのデッサンだけでもう充分《じゅうぶん》に味《あじわ》ったように思いながら。
※[#アステリズム、1−12−94]
一体、「水車の道」というのは、郵便局やいろんな食料品店などのある本通りの南側を、それと殆《ほと》んど平行しながら通っているのだが、それらの二つの平行線を斜《はす》かいに切っている、いくつかの狭《せま》い横町があった。そんな横町の一つに、その村で有名な二|軒《けん》の花屋があった。二軒とも藁屋根《わらやね》の小さな家だったが、共に、その家の五六倍ぐらいはあるような、大きな立派な花畑に取り囲まれていた。そしてその二つの花畑を区切って、いつも気持のよいせせらぎの音を立てながら流れているのは、数年前まで、そのずっと上流のところでごとごとと古い水車を廻転《かいてん》させていたところの、あの小さな流れであった
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