なったのにも拘《かかわ》らず、彼女の顔がなおも絶えず変化しているのに愕《おどろ》いた。或る時は、その顔はあんまり血色がよく、すべすべしているので、私のためらいがちな視線はいくどもその上で空滑《からすべ》りをしそうになった。また他の時はすこし疲《つか》れを帯びたように沈《しず》んで、不透明《ふとうめい》で、その皮膚《ひふ》の底の方にはなんだか菫色《すみれいろ》のようなものが漂っているように見えた。そうかと思うと、その皮膚がすっかり透明になり、ぽうっと内側から薔薇色《ばらいろ》を帯びているようなこともあった。ときどき以前に見たのと何処《どこ》か似たような顔をしていることもあった。が、その顔は決して二度と同じものであることはなかった。
 或る日のこと、私は自分の「美しい村」のノオトとして悪戯《いたずら》半分に色鉛筆《いろえんぴつ》でもって丹念《たんねん》に描いた、その村の手製の地図を、彼女の前に拡《ひろ》げながら、その地図の上に万年筆で、まるで瑞西《スイス》あたりの田舎《いなか》にでもありそうな、小さな橋だの、ヴィラだの、落葉松《からまつ》の林だのを印《しる》しつけながら、彼女のために、私の知っているだけの、絵になりそうな場所を教えた。その時、私のそんな怪《あや》しげな地図の上に熱心に覗《のぞ》き込んでいる彼女の横顔をしげしげと見ながら、私は一つの黒子《ほくろ》がその耳のつけ根のあたりに浮んでいるのを認めた。その時までちっともそれに気がつかないでいた私には、何んだかそれはいま知らぬ間に私の万年筆からはねたインクの汚点《しみ》かなんかで、拭《ふ》いたらすぐとれてしまいそうに思えたほどだった。
 翌日、私は彼女が私の貸した地図を手にして、早速《さっそく》私の教えたさまざまな村の道を一とおり見歩いて来たらしいことを知った。それほど私の助言を素直《すなお》に受入れてくれたことは、私に何んとも言いようのない喜びを与えた。

     ※[#アステリズム、1−12−94]

 そんな村の地図を手にして、彼女《かのじょ》がひとりで散歩がてら見つけて来た、或るささやかな渓流《けいりゅう》のほとりの、蝙蝠傘《こうもりがさ》のように枝を拡げた、一本の樅《もみ》の木の下に、彼女が画架《がか》を据《す》えている間、私はその画架の傍《そば》から、数本のアカシアの枝を透しながらくっきりと見えている、
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