ぽ見もしなかったけれど、今度こそ、私もそれらの花に対して私のありったけの誠実を示すことの出来る機会の来つつあることを心から喜んでいた。そしてそのための私の歓《よろこ》ばしさと言ったら、昔《むかし》の詩人等が野薔薇のために歌った詩句を、口ずさむなんと言うのではなく、それを知っているだけ残らず大きな声で呶鳴《どな》り散らしたいような衝動《しょうどう》にまで、私を駈《か》り立てるのであった。

     ※[#アステリズム、1−12−94]

 私の書こうとしていた小説の主題は、漸《ようや》くその日その日を楽しむことが出来るようになったこんな田舎暮《いなかぐら》しの中では、いよいよ無意味なものに思われて来た。それに、そんなものを書くことは、自分で自分を一層どうしようもない破目《はめ》に陥《おと》し入れるようなものであることにも気がついたのだ。「アドルフ」の例が考えられた。ああいうものにまで私は自分の小さな出来事を引き揚《あ》げたかったのだ。弱気でしかも自我《じが》の強いために自分自身も不幸になり、他人をも不幸にさせたところのアドルフの運命は又《また》、私の運命さながらに思えたからだ。しかし、「アドルフ」の作者ほど、そういう弱々しい性格(恐らくそれは彼自身のであろうけれど)に対するはげしい憎悪《ぞうお》も持っていない、むしろそういう自分自身を甘《あま》やかすことしか出来そうもない私がそんな小説の真似なんかしようものなら、それによって更《さら》にもう一層自分自身をも、又他人をも不幸にするばかりであることが、わかり過ぎるくらい私にはわかって来たのだ。……こういうような考え方は、私の暗い半身にはすこし気に入らないようだったけれども、この頃のこんな田舎暮しのお蔭《かげ》で、そう言った私の暗い半身は、もう一方の私の明るい半身に徐々《じょじょ》に打負かされて行きつつあったのだ。
 そうして今の私がそれならば書いてもみたいと思うものは、たとえどんなに平凡《へいぼん》なものでもいいから、これから私の暮らそうとしているようなこんな季節はずれの田舎の、人っ子ひとりいない、しかし花だらけの額縁《がくぶち》の中へすっぽりと嵌《は》まり込むような、古い絵のような物語であった。私は何とかしてそんな言わば牧歌的なもの[#「牧歌的なもの」に傍点]が書きたかった。私はこれまでも他人の書いたそういう作品を随分
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