い」と私は丁度ヴェランダに出て来た妻をかえり見た。「ちょっと向う岸に渡って見たいなあ。下の貸ボオト屋へ訊《き》いたら、なんとかして呉れないかしらなあ。」
「往って見ましょうか?」
妻は本を読むおつき合いをさせられるよりかその方が賛成だった。私達はホテルを出ていった。前の急な坂を下りかかると、その途中で、一人の、空の畚《もっこ》を背負い、息苦しそうにすっかり胸をはだけた、よぼよぼのおじいさんとすれちがいざま、何か問いかけられた。少くともそんな気がして、二人で一緒にふりむくと、そのおじいさんは何やら喘《あえ》ぎ喘《あえ》ぎ私達に向って物を言っているのだが、それがなかなか聞きとれなかった。なんでも私達がいま道で、馬を曳いて往った自分の娵《よめ》に往き遭ったろうが、どの位先きへ往ったかを知りたいらしい事が漸《ようや》く分った。私達はすぐ上のホテルから飛び出してきたので、そんなものは見かけなかったから、知らないと云うと、なんだか怪訝《けげん》そうな顔をして、いつまでも私達を見つめていた。それ以上どうにも私達にはしようがないので、そのまま坂を下りはじめながら、もう一度ふり返って見ると、おじいさん
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