字の看板の一部だけが見えていた。なんだかちょっと洒落《しゃれ》た店のようで、何だろうとおもって、その裏木戸に近づいてみると、白樺の木にかくれていた半分は「…… Grocery」――なあんだ八百屋だったのか。だが、こんな家の裏手にぴょこんと八百屋が一軒あるきりなんて云うのはおかしいと思って、ずんずんその裏木戸を押しあけてみると、そこにはその八百屋をはじめ雑貨屋だの、理髪店だの、氷屋だのの看板を出した掘立小屋が一塊りに立っている。そして其処は道が三叉《みつまた》になって、東の方から上って来た道がそこで分かれて、一方は今の別荘の裏を通って外人部落のなかに消え、もう一方はこれは昔ながらの村道らしく、西に向って爪先下りに下がっていって、二町程先きで森のなかにはいっている。森の上には黒姫山が大きく立ちはだかっている。その左手に、やや遠くになって見えるのは戸隠山だろう。ここは、本当に信濃路という感じだ。その三叉になったところには、さっきの掘立小屋のほかに、昔ながらの百姓家が数軒立ち並んで一小部落をなしている。それらの薄ぎたない百姓家は、外人部落なんぞとは何んの交渉も無さそうにいずれもそっちには強情に
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