だった。
*
夕方、私達が五つ六つの卓《テイブル》のあるきりの小さな食堂で、木の間ごしにちらちら見える湖水の面を眺めながら、セロリのついた野菜の皿に向っている最中、いましがた外から帰って来たらしい、外人の若い娘がふたりで食堂にはいって来た。先きにはいって来たのは、半ズボンに白いポロシャツという服装で、頭も男の子のように刈り上げた、目鼻立のきりっとした美しい娘で、続いてはいって来たのは、薔薇色《ばらいろ》の着物をきた肥り気味の、おとなしそうな娘だった。二人は私達の卓の傍をすうっと通って、向うの窓ぎわの卓に就いた。丁度私と白いポロシャツの娘とは向い合わせ、妻と薔薇色の娘とは背中合わせになった。
「きょうだいか知ら?」妻は小声で私に云ったが、それがポロシャツの娘を少年と見まちがえているらしい事に気がついて、私はおもわず微笑《ほほえ》みながら首をふりふり、丁度食後の菓子を運んできた女中が立ち去るのを待って、「お前はあれを少年とまちがえているようだがね……あれは女性だよ」
「ほんとう?……」妻はそうかと云って振り向いて見るわけにもいかず、プディングを匙《さじ》であぶなかしそうにすくいながら云った。
「女性は女性にちがいないが……あれは旦那様なのかも知れない。……」私はそんな蔭口をいいながら、おもわずその娘とばったり目を合わせた。私よりも先きに、娘の方ですぐ目をそらせた。
私は煙草をふかし出しながら、二人でゆっくり珈琲を飲んでいると、帳場のかげからレコオドが聞えてきた。「アヴェ・マリア!……」向うの卓で薔薇色《ばらいろ》の娘がそう甘えるような声を出した。ポロシャツの方はセロリを口に入れながら、黙ってうなずいていた。曲が静かに終っても、いつまでも空まわりをやっていた。それに気がついて、台所から皿洗いらしいものの姿が帳場の奥へちらり見えて、他のと掛け換えた。そのとき初めて気がついたが、どうやらこのホテルでは、マネエジャアから料理番、皿洗いまで一人でやっていると見える。こんどの曲はワルツか何からしかった。
夜、いつまでもなんだか口の中に残っているセロリの匂を気にしながら、すこし自分達の部屋で本を読んでいたが、どうも部屋が小さいせいか蒸し蒸しするので、窓を明け放しておいて二人ともヴェランダへ出て往った。
その隣りの、湖に面した部屋のあかりが急に消されたようだった。そ
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