木々の枝を丁度いい額縁にして湖水の一部が見えそれを四方から囲んでいる山々を私ははじめて見た。地図と見くらべながら、右手のが斑尾《まだらお》山、それからずっと左手のが妙高山、黒姫山、というのだけが分かった。それからいま此処からは見えないが、戸隠山、飯綱山などがまだ控えている筈だった。


    *

 そう疲れてもいないので、夕飯までに近所の外人部落でも一まわりして見る事にする。
 急な丘の腹にもって来て、殆ど隙間もない位、それらの別荘が建て混んでいるので、通り路が何処からどうついているのかも分からず、又、その道から一々の別荘へなんの仕切りもなしに段々路がついているので、そのややっこしいったら無い。うっかりするとすぐ外人の別荘の中へ迷い込んでしまうが、さいわい今はもう殆ど全部閉まっているので、平気でそのヴェランダの下や勝手の横などを通り抜けて往った。まだ二軒か三軒ぐらい、そんな別荘に外人の家族が居残っているらしく、空家かと思った中から人の暮らしの静かな物音がしたりする。
 こうやって人けの絶えた外人部落をなんという事なしにぶらついていると、夏の盛り時は見ていずとも、何か知ら夏に於ける彼等の生活ぶりがそこいらへんからいきいきと蘇《よみがえ》ってくる。――人が住んでいようといまいと、いつもこんな具合に草が茫々《ぼうぼう》と生えて、ヴェランダなど板が割れて、いまにも踏み抜きそうな位に、廃園らしい感じだが、そんな中から人々の笑い声がし、赤ん坊がハンモックに寝かされ、犬が走り、マアガレットが咲きみだれ、洗濯物が青いのや赤いのや白いのや綺麗《きれい》にぶらさがっている。……夕方になると、上の方の別荘からレコオドが聞え、湖水の面にはヨットが右往左往している。そして、このウツギの花の咲いた井戸端なんぞには、きっと少女が水を汲みに来て快活そうにお喋《しゃべ》りをする。……そんな愉《たの》しそうな空想があとからあとから涌《わ》いて来る。それをまた子供のようにはしゃいで一々妻に云い訊かせながら歩いている私は、何遍となく間違えて人の家へはいって往った。
 漸っと急な坂を湖水の岸まで下りて、こんどは岸の砂地を歩いた。まだ二三隻、岸に繋《つな》がれていたボオトの尻を浪がぺちゃぺちゃと叩いていた。そこにも人けは全く絶えていて、白いワイヤ種の犬が一匹、その浪打ち際を、一人で駈けずりまわっているだけ
前へ 次へ
全15ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング