こがさっきの娘たちの部屋らしい。私達がヴェランダに出て黙ったまま煙草をふかしていると、隣りの真っ暗な部屋から低い囁《ささや》き声《ごえ》が漸《ようや》くし出した。それとはなしに耳を傾けていると、一人が絶えず甘えるような声で何かを囁きつづけているのを、もう一人はふんふんといった調子でさも気がなさそうに聞いていた。そうしてはときどきよく生意気な青年がするように、どうでもいいような素っ気ない笑い声を立てていた……
「もうおはいりにならない? すこし冷え冷えしてきたわ……」妻がいった。
「……」私は黙って、山の上にいつか漂い出している夜の雲を見上げていた。
「それはそうと、あしたはどうなさるおつもり?」
「うん、まあ、もう一日位、此処にいてもいいな。静かだから、本ぐらいは読めそうだ。」
私は思い出したように、手にしていた小さな本を開いた。それを少し遠くからのあかりで読もうとしかけた。
「こんな暗いところで、そんなものを読むのはおよしなさいな。……とにかく、こんやは疲れているからもうお休みにならない? あしたの事はあしたの事にして……」
「うん、それもよかろう。あしたの事はあしたの事にするか……」
私は再び一面に雲の出ている夜の空を見上げた。これはどうも明朝あたりから天気が崩れそうだぞと思った。だが、まあ好い、本当にあしたの事はあしたの事だ。……
*
明け方早く目を覚ますと、裏の山で何か聞きおぼえのある小鳥がしきりに囀《さえず》っている。この夏、いろんな小鳥の啼《な》きごえを教わったのは好いが、あんまり一遍に教わり過ぎて、どれがどれだか混んがらかってしまっていた。いまもいま、半分寝呆けて、その小鳥の声を耳にしながら、
「おい、あれはなんだっけな。……おい、おい、好いか、おれがそれを思い出せたら、お前も起きるんだぞ。思い出せなかったら、もっと寝かせてやるよ。」
妻はまだ眠たそうで、そんな小鳥なんぞどうでもよさそうだった。
私はそれには知らん顔で、一生懸命にその口真似をしては、その小鳥を思い出そうとしていた。
「あれは蒿雀《あおじ》だ。……」私は漸《や》っとそれが思い出せると、飛び起きて、窓ぎわに寄っていった。其処から見えた赭松《あかまつ》の一つの枝で小さなオリイブ色をした小鳥が二羽飛び交していた。それは蒿雀にちがいなかった。
「おい起きろよ。……」私はしか
前へ
次へ
全15ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング