お前、そのお前との思いがけない、不思議な愛撫《あいぶ》を思い出して、そのためにのみ私は泣いていたのだ……
その日の正午頃、お前たちは二台の荷馬車を借りて、みんなでその上に家畜のように乗り合って、がたがた揺られながら、何処《どこ》だか私の知らない田舎《いなか》へ向って、出発した。
私は村はずれまで、お前たちを見送りに行った。荷馬車はひどい埃《ほこ》りを上げた。それが私の目にはいりそうになった。私は目をつぶりながら、
「ああ、お前が私の方をふり向いているかどうか、誰か教えてくれないかなあ……」
と、口の中でつぶやいていた。しかし自分自身でそれを確かめることはなんだか恐ろしそうに、もうとっくにその埃りが消えてしまってからも、いつまでも、私は、そのまま目をつぶっていた。
底本:「燃ゆる頬・聖家族」新潮文庫、新潮社
1947(昭和22)年11月30日発行
1970(昭和45)年3月30日26刷改版
1987(昭和62)年10月20日51刷
初出:「日本國民」日本國民社
1932(昭和7)年9月号
初収単行本:「麥藁帽子」四季社
1933(昭和8)年12月
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