ものような丸髷《まるまげ》に結っていないで、見なれない束髪に結っていた。私はそれを見ながら、すこし気づかわしそうに母に云った。
「お母さんには、そんな髪、ちっとも似合わないや……」
それっきり、私の母はそんな髪の結い方をしなかった。
それだのに、私は寄宿舎では、毎日、大人になるための練習をした。私は母の云うことも訊《き》かないで、髪の毛を伸ばしはじめた。それでもって私の子供らしさが隠せでもするかのように。そうして私は母のことを強《し》いて忘れようとして、私の嫌《きら》いな煙草のけむりでわざと自分を苦しめた。私の同室者たちのところへは、ときおり女文字の匿名《とくめい》の手紙が届いた。皆が彼|等《ら》のまわりへ環《わ》になった。彼等は代る代るに、顔を赧《あか》らめて、嘘《うそ》を半分まぜながら、その匿名の少女のことを話した。私も彼等の仲間入りがしたくて、毎日、やきもきしながら、ことによるとお前が匿名で私によこすかも知れない手紙、そんな来る宛《あて》のない手紙を待っていた。
或る日、私が教室から帰ってくると、私の机の上に女もちの小さな封筒が置かれてあった。私が心臓をどきどきさせながら、それを手にとって見ると、それはお前の姉からの手紙だった。私がこの間、それの返事を受取りたいばっかりに、女学校を卒業してからも英吉利《イギリス》語の勉強をしていたお前の姉に、洋書を二三冊送ってやったので、そのお礼だった。しかし真面目《まじめ》なお前の姉は、誰にもすぐ分るように、自分の名前を書いてよこした。それがみんなの好奇心をそそらなかったものと見える。私はその手紙についてほんのあっさりと揶揄《からか》われたきりだった。
それからも屡々《しばしば》、私はそんな手紙でもいいから受取りたいばっかりに、お前の姉にいろんな本を送ってやった。するとお前の姉はきっと私に返事をくれた。ああ、その手紙に几帳面《きちょうめん》な署名がなかったら、どんなによかったろうに!……
匿名の手紙は、いつまでたっても、私のところへは来なかった。
そのうちに、夏が一周《ひとまわ》りしてやってきた。
私はお前たちに招待されたので、再びT村を訪れた。私は、去年からそっくりそのままの、綺麗《きれい》な、小ぢんまりした村を、それからその村のどの隅々《すみずみ》にも一ぱいに充満している、私たちの去年の夏遊びの思い出を
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