は言葉を挿《はさ》んだ。「あなたの方の為事《しごと》は大へんでしょう?」
「そんなでもありませんわ、いまのところ何んにも困りませんの。」万里子さんはそんな事はいかにも何んでもなさそうな答えかたをした。
「そりあ困らないわけさ、一週間も同じものばかり食べさせられていても、僕はなんにも言わないんだもの。」K君はそうは言っても、すこしも不平そうではなかった。むしろ、そういう山のなかの簡素な暮らしを好んでいるようにさえ見えた。
 夕食は、しかし山のなかでは思いがけない御馳走だった。ひさしぶりに四人で鳥鍋をかこみながら身も心も温かになって、世はさまざまな話をするのは愉《たの》しかった。
 僕はこの秋から冬にかけてひとりで旅して歩いた大和路のことを話した。それからその旅のおわりに、エル・グレコの絵を見てきたことなども話した。――その倉敷という小さな町まで五時間もかかって往って、やっとそこの美術館にたどりつき、画廊にはいるなり、すぐエル・グレコの絵に近づいて見ると、それは思ったより小さなものだったが、いかにも凄い絵で、一ぺんではねつけられ、しかたなく他のゴッホやロオトレックなどを一とおり丁寧に見て歩
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