ない所以《ゆえん》の一つは、その半跏思惟《はんかしゆい》の形相そのものであろうと説かれた浜田博士の闊達《かったつ》な一文は私の心をいまだに充たしている。その後も、二三の学者のこの像の半跏思惟の形の発生を考察した論文などを読んだりして、それがはるかにガンダラの樹下思惟像あたりから発生して来ているという説などもあることを知り、私はいよいよ心に充ちるものを感じた。
 あのいかにも古拙《アルカイック》なガンダラの樹下思惟像――仏伝のなかの、太子が樹下で思惟三昧《しゆいざんまい》の境にはいられると、その樹がおのずから枝を曲げて、その太子のうえに蔭をつくったという奇蹟を示す像――そういう異様に葉の大きな一本の樹を装飾的にあしらった、浅浮彫りの、数箇の太子思惟像の写真などをこの頃手にとって眺めたりしているときなど、私はまた心の一隅であの信濃の山ちかい村の寺の小さな石仏をおもい浮かべがちだった。

    ※[#アステリズム、1−12−94]

 一つの思惟像《しゆいぞう》として、瞑想《めいそう》の頬杖をしている手つきが、いかにも無様《ぶざま》なので、村人たちには怪しい迷信をさえ生じさせていたが、――
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