になって思い出されてくる。――しかし、いまはもうこの里も、この宿屋も、こんなにすっかり荒れてしまっている。夜になったって、筬《おさ》を打つ音で旅びとの心を慰めてくれるような若い娘などひとりもいまい。だが、きいてみると、ずっと一人きりでこの宿屋に泊り込んで、毎日、壁画の模写にかよっている画家がいるそうだ。それをきいて、僕もちょっと心を動かされた。一週間ばかりこの宿屋で暮らして、僕も仕事をしてみたら、もうすこしぴんとした気もちで仕事ができるかも知れない。
 どのみち、きょうは夢殿や中宮寺なんぞも見損ったから、またあすかあさって、もう一遍出なおして来よう。そのときまでに決心がついたら、ホテルなんぞはもう引き払って来てもいい。……
 そんな工合で、結局、なんにも構想をまとめずに、暗くなってからホテルに帰ってくると、僕は、夜おそくまで机に向って最後の努力を試みてみたが、それも空しかった。そうして一時ちかくなってから、半分泣き顔をしながら、寝床にはいった。が、昼間あれだけ気もちよげに歩いてくるせいか、よく眠れるので、愛想がつきる位だ。――
 けさはすこし寝坊をして八時起床。しかし、お昼もきょうはホ
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