い》はつづけられそうもない。それからH君はこちらに滞在中に、ちか頃になく詩がたくさん書けたといって、いよいよ僕をうらやましがらせた。
 四時ごろ、一足さきに帰るというH君を郡山《こおりやま》行きのバスのところまで見送り、それから僕は漸っとひとりになった。が、もう小説を考えるような気分にもなれず、日の暮れるまで、ぼんやりと斑鳩《いかるが》の里をぶらついていた。
 しかし、夢殿の門のまえの、古い宿屋はなかなか哀れ深かった。これが虚子の「斑鳩物語」に出てくる宿屋。なにしろ、それはもう三十何年かまえの話らしいが、いまでもそのときとおなじ構えのようだ。もう半分家が傾いてしまっていて、中二階の廊下など歩くのもあぶない位になっている。しかしその廊下に立つと、見はらしはいまでも悪くない。大和の平野が手にとるように見える。向うのこんもりした森が三輪山《みわやま》あたりらしい。菜の花がいちめんに咲いて、あちこちに立っている梨の木も花ざかりといった春さきなどは、さぞ綺麗だろう。と、何んということなしに、そんな春さきの頃の、一と昔まえのいかるがの里の若い娘のことを描いた物語の書き出しのところなどが、いい気もち
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