立ち出でた。
二
[#地から1字上げ]十月十八日、奈良ホテルにて
きょうは雨だ。一日中、雨の荒池をながめながら、折口博士の「古代研究」などを読んでいた。
そのなかに人妻となって子を生んだ葛《くず》の葉《は》という狐の話をとり上げられた一篇があって、そこにこういう挿話が語られている。或る秋の日、その葛の葉が童子をあやしながら大好きな乱菊の花の咲きみだれているのに見とれているうちに、ふいと本性に立ち返って、狐の顔になる。それに童子が気がつき急にこわがって泣き出すと、その狐はそれっきり姿を消してしまう、ということになるのだが、その乱菊の花に見入っているその狐のうっとりとした顔つきが、何んとも云えず美しくおもえた。それもほんの一とおりの美しさなんぞではなくて、何かその奥ぶかくに、もっともっと思いがけないものを潜めているようにさえ思われてならなかった。
僕も、その狐のやつに化かされ出しているのでないといいが……
[#地から1字上げ]十月十九日、戒壇院の松林にて
きょうはまたすばらしい秋日和《あきびより》だ。午前中、クロオデルの「マリアへのお告げ」を読んだ。
数年まえの冬、雪
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