し田圃《たんぼ》があって、そのまわりに黄いろい粗壁《あらかべ》の農家が数軒かたまっている。それが五条《ごじょう》という床しい字名《あざな》の残っている小さな部落だ。天平の頃には、恐らくここいらが西の京の中心をなしていたものと見える。
 もうそこがすぐ唐招提寺の森だ。僕はわざとその森の前を素どおりし、南大門《なんだいもん》も往き過ぎて、なんでもない木橋の上に出ると、はじめてそこで足を止めて、その下に水草を茂らせながら気もちよげに流れている小川にじいっと見入りだした。これが秋篠川のつづきなのだ。
 それから僕は、東の方、そこいら一帯の田圃《たんぼ》ごしに、奈良の市のあたりにまだ日のあたっているのが、手にとるように見えるところまで歩いて往ってみた。
 僕は再び木橋の方にもどり、しばらくまた自分の仕事のことなど考え出しながら、すこし気が鬱《ふさ》いで秋篠川にそうて歩いていたが、急に首をふってそんな考えを払い落し、せっかくこちらに来ていて随分ばかばかしい事だと思いながら、裏手から唐招提寺の森のなかへはいっていった。
 金堂《こんどう》も、講堂も、その他の建物も、まわりの松林とともに、すっかりもう
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