書いていられたではないか、あの小説には実によく古代の空気が出ていたようにおもうね。
 客 そう、あの「死者の書」は唯一の古代小説だ。あれだけは古代を呼吸しているよ。まあ、ああいう作品が一つでもあってくれるので、僕なんぞにも何か古代が描けそうな気になっているのだよ。僕ははじめて大和の旅に出るまえに、あの小説を読んだ。あのなかに、いかにも神秘な姿をして浮かび上がっている葛城《かつらぎ》の二上山《ふたがみやま》には、一種の憧《あくが》れさえいだいて来たものだ。そうして或る晴れた日、その麓《ふもと》にある当麻寺《たぎまでら》までゆき、そのこごしい山を何か切ないような気もちでときどき仰ぎながら、半日ほど、飛鳥の村々を遠くにながめながらぶらぶらしていたこともあった。
 主 その二上山だ。その山に葬られた貴い、お方の亡《な》き骸《がら》が、塚のなかで、突然深いねむりから村びとたちの魂乞《たまご》いによって呼びさまされるあたりなどは、非常に凄かったね。森の奥の、塚のまっくらな洞のなかの、ぽたりぽたりと地下水が巌づたいにしたたり落ちてくる湿っぽさまでが、何かぞっとするように感ぜられた。
 客 全篇、森厳
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