幻覚的な気もちにさえなり出していたが、急にまた坂にさしかかったと見えて橇ががたんがたん揺れだしたので、思わず自分自身に立ち返えされてしまっていた。
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……雪のごとく愉しかれ。
大いなる壺のやすらかに閉ざされし内部に在りて、
すべての歌声の、よろこばしきアルペジオとなりて、
絶えず涌きあがるがごとくにあれ。
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そうしてそういうノワイユ夫人の詩の一節だけが、いつまでも自分の口の裡《うち》に、なにか永遠の一片のように残っていた。……
「死者の書」
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古都における、初夏のタぐれの対話
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客 なんともいえず好い気もちだね。すこし旅に疲れた体をやすめながら、暮れがたの空をこうやって見ているのは。
主 京都もいまが一番いいんだ。この頃のように澄み切った空のいろを見ていると、すっかり京都に住みついている僕なんぞも、なんだかこう旅さきにいるような気がしてきてならないね。まあ、そういう気もちになるだけでもいいからな……それにしても、君はこの頃はよくこちらの方へ出てくるなあ。いつか話していた仕事は
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