た村を過ぎ、小さな池(それが菖蒲池か)のあった丘のうえの林の中を無理に抜けて、その南側の中腹にある古墳のほうへ出たのでしたね。――古代の遺物である、筋のいい古墳というものを見たのは僕にはそれがはじめてでした。丘の中腹に大きな石で囲った深い横穴があり、無慙《むざん》にもこわされた入口(いまは金網がはってある……)からのぞいてみると、その奥の方に石棺らしいものが二つ並んで見えていました。その石棺もひどく荒らされていて、奥の方のにはまだ石の蓋《ふた》がどうやら原形を留めたまま残っていますが、手前にある方は蓋など見るかげもなく毀《こわ》されていました。
 この古墳のように、夫婦をともに葬ったのか、一つの石廓《せっかく》のなかに二つの石棺を並べてあるのは比較的に珍らしいこと、すっかり荒らされている現在の状態でも分かるように、これらの石棺はかなり精妙に古代の家屋を模してつくられているが、それはずっと後期になって現われた様式であること、それからこの石棺の内部は乾漆《かんしつ》になっていたこと、そして一めんに朱で塗られてあったと見え、いまでもまだところどころに朱の色が鮮やかに残っているそうであること、――そういう細かいことまでよく調べて来たものだと君の説明を聞いて僕は感心しながらも、さりげなさそうな顔つきをしてその中をのぞいていました。その玄室《げんしつ》の奥ぶかくから漂ってくる一種の湿め湿めとした気とともに、原始人らしい死の観念がそのあたりからいまだに消え失せずにいるようで、僕はだんだん異様な身ぶるいさえ感じ出していました。――やっとその古墳のそばを離れて、その草ふかい丘をずんずん下りてゆくと、すぐもう麦畑の向うに、橘寺のほうに往くらしい白い道がまぶしいほど日に赫《かがや》きながら見え出しました。僕たちはそれからしばらく黙りあって、その道を橘寺のほうへ歩いてゆきました。……

    ※[#アステリズム、1−12−94]

 そうやって君と一しょにはじめて見たその菖蒲池古墳、――そのときはなんだか荒《すさ》んだ、古墳らしい印象を受けただけのように思っていましたが、だんだん月日が立って何かの折にそれを思い出したりしているうちに、そのいかにもさりげなさそうに一ぺん見たきりの古墳が、どういうものか、僕の心のうちにいつも一つの場所を占めているようになって来ました。――いわば、それは僕にとっては古代人の死に対する観念をひとつの形象にして表わしてくれているようなところがあるのでありましょう。いつごろからそういう古代人の死の考えかたなどに僕が心を潜めるようになったかと云いますと、それは万葉集などをひらいて見るごとに、そこにいくつとなく見出される挽歌《ばんか》の云うに云われない美しさに胸をしめつけられることの多いがためでした。このごろ漸《ようや》くそういう挽歌の美しさがどういうところから来ているかが分かりかけて来たような気がします。
 先ず、古代人の死に対する考えかたを知るために、あの菖蒲池古墳についてかんがえて見ます。あの古墳に見られるごとき古代の家屋をいかにも真似たような石棺様式、――それはそのなかに安置せらるべき死者が、死後もなおずっとそこで生前とほとんど同様の生活をいとなむものと考えた原始的な他界信仰のあらわれ、或いはその信仰の継続でありましょう。しかし、僕たちが見たその古墳のように、その切妻形の屋根といい、浅く彫上げてある柱といい、いかにもその家屋の真似が精妙になってきだすのと前後して、突然、そういう立派な古墳というものがこの世から姿を消してしまうことになったのです。これはなかなか面白い現象のようです。勿論、それには他からの原因もいろいろあったでしょう。だが、そういう現象を内面的に考えてみても考えられないことはない。つまり、そういう精妙な古墳をつくるほど頭脳の進んで来た古代人は、それと同時にまた、もはや前代の人々のもっていたような素朴な他界信仰からも完全にぬけ出してきたのです。――一方、火葬や風葬などというものが流行《はや》ってきて、彼等のあいだには死というものに対する考えかたがぐっと変って来ました。それがどういう段階をなして変っていったかということが、万葉集などを見ているとよく分かるような気もちがします。……
 たとえば、巻二にある人麻呂の挽歌。――自分のひそかに通っていた軽《かる》の村の愛人が急に死んだ後、或る日いたたまれないように、その軽の村に来てひとりで懊悩《おうのう》する、そのおりの挽歌でありますが、その長歌が「……軽《かる》の市にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍《うねび》の山に鳴く鳥の声も聞えず。たまぼこの道行く人も、ひとりだに似るが行かねば、すべをなみ、妹《いも》が名呼びて袖ぞ振りつる」と終わると、それがこういう二首の反歌でおさめられ
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