いるようなのが、僕にはまったくおもいがけなく思われました。――が、そういう蜜柑山の殆どすべてが、ことによったら古代の古墳群のあとなのかも知れません。そんな想像が僕の好奇心を少しくそそのかしました。
次ぎの日――きのうは、恭仁京《くにのみや》の址《あと》をたずねて、瓶原にいって一日じゅうぶらぶらしていました。ここの山々もおおく南を向き、その上のほうが蜜柑畑になっていると見え、静かな林のなかなどを、しばらく誰にも逢わずに山のほうに歩いていると、突然、上のほうから蜜柑をいっぱい詰めた大きな籠《かご》を背負った娘たちがきゃっきゃっといいながら下りてくるのに驚かされたりしました。ながいこと山国の寒く痩《や》せさらぼうたような冬にばかりなじんで来たせいか、どうしても僕には此処はもう南国に近いように思われてなりませんでした。だが、また山の林の中にひとりきりにされて、急にちかぢかと見えだした鹿背山《かせやま》などに向っていると、やはり山べの冬らしい気もちにもなりました。……
きょうは、朝のうちはなんだか曇っていて、急に雪でもふり出しそうな空合いでしたが、最後の日なので、おもいきって飛鳥ゆきを決行しました。が、畝傍山《うねびやま》のふもとまで来たら、急に日がさしてきて、きのうのように気もちのいい冬日和《ふゆびより》になりました。三年まえの五月、ちょうど桐の花の咲いていたころ、君といっしょにこのあたりを二日つづけて歩きまわった折のことを思い出しながら、大体そのときと同じ村々をこんどは一人きりで、さも自分のよく知っている村かなんぞのような気やすさで、歩きまわって来ました。が、帰りみち、途中で日がとっぷりと昏《く》れ、五条野《ごじょうの》あたりで道に迷ったりして、やっと月あかりのなかを岡寺の駅にたどりつきました……
あすは朝はやく奈良を立って、一気に倉敷を目ざして往くつもりです。よほど決心をしてかからないことには、このままこちらでぶらぶらしてしまいそうです。見たいものはそれは一ぱいあるのですから。だが、こんどはどうあっても僕はエル・グレコの絵を見て来なければなりません。なぜ、そんなに見て来なければならないような気もちになってしまったのか、自分でもよく分かりません。僕のうちの何物かがそれを僕に強く命ずるのです。それにどういうものか、こんどそれを見損ったら、一生見られないでしまうような焦躁《しょうそう》のようなものさえ感ぜられるのです。――で、僕は朝おきぬけにホテルを立てるようにすっかり荷物をまとめ、それからやっと落ちついた気もちになって、君にこの手紙を書き出しているのです。こんどこちらにちょっと来ているうちにいろいろ考えたこと――というより、三年まえに君と同道してこの古い国をさまよい歩いたときから僕のうちに萌《きざ》しだした幾つかの考えのうちでも、まあどうやらこうやら恰好のつきだしているものを、ともかくも一応君にだけでも報告しておきたいと思うのです。
※[#アステリズム、1−12−94]
その三年前のこと、僕はいままでの仕事にも一段落ついたようなので、これから新らしい仕事をはじめるため、一種の気分転換に、ひとりで大和路をぶらぶらしながら、そのあたりのなごやかな山や森や村などを何んということなしに見てまわって来るつもりでした。それが急に君と同伴することになり、いきおい古美術に熱心な君にひきずられて、僕までも一しょう懸命になって古い寺や仏像などを見だし、そして僕の旅嚢《りょのう》はおもいがけなくも豊かにされたのでした。きょう僕がいろいろな考えのまにまに歩いてきた飛鳥の村々にしたって、この前君と同道していなかったら、きょうのようには好い収穫を得られなかったのではないかと思います。もし僕ひとりきりだったら、僕はただぼんやりと飛鳥川だの、そのあたりの山や丘や森や、そのうえに拡がった気もちのいい青空だのを眺めながら、愉《たの》しい放浪児のように歩きまわっていただけだったでしょう。――が、君に引っぱってゆかれる儘《まま》、僕はそんなものをついぞ見ようとも思わなかった古墳だの、廃寺のあとに残っている礎石だのを、初夏の日ざしを一ぱいに浴びながら見てまわったりしました。そのときはあんまり引っぱりまわされたので少し不平な位でした。しかし、どうもいまになって考えて見ると、そのとき君のあとにくっついて何気なく見たりしていたもののうちには、その後何かと思い出されて、いろいろ僕に役立ったものも少くはないようです。あの菖蒲池古墳《あやめいけこふん》のごときは、君のおかげで僕の知った古墳ですが、あれなどはもっとも忘れがたいもののひとつでありましょう。
そうです、そのときはまず畝傍山の松林の中を歩きまわり、久米寺《くめでら》に出、それから軽《かる》や五条野などの古び
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