風にふかれながら、あるときは秋の雲をみあげながら、ぼんやりと歩けるようになりたい。――心におそろしげに描いてきた神々のいられた森が何かつまらない小山に見えるきりだったり、なにげなく見やっていた或る森のうえの塔に急に心をひかれ出して暑い田圃《たんぼ》のなかを過《よ》ぎっていったり、或る大寺の希臘風《ギリシアふう》なエンタシスのある丹《に》のはげた円柱を手で撫でながら、目のあたりに見る何か大いなるものの衰《おとろ》えに胸を圧《お》しつぶされたり、そうかとおもうと、見すてられたような廃寺の庭の夏草の茂みのなかから拾い上げた瓦《かわら》がよく見ると明治のやつだったりして、すっかりへとへとになって、日ぐれ頃、朝からみると自分の仕事からかえって遠のいた気もちになって帰ってくることが多いのだ。
 主 そういった君の日々が、そのままで君の小説になるのではないか。
 客 いや、もうそういう苦しまぎれのような仕事はこんどだけはしたくない。もっと、こう大どかな仕事ぶりをしてみたいんだ。だが、僕みたいなものには難しいことらしいな。――あれは、おととしの秋だったかな、ともかくもまあ小手しらべにと、何か小品を、ちょうど古代の人々がふいとした思いつきで埴輪《はにわ》をつくりあげたような気もちで、書いてやろうとおもって、古代の研究がてら、大和にやってきて、毎日寺々を見て歩いているうちに、なんだか日にまし気もちが重くるしくなって、とうとう或る夕方、もうその仕事をどう云ってやってことわろうかと考えるため散歩にいった高畑のあたりの築土《ついじ》のくずれが妙にそのときの自分の気もちにぴったりして、それから急に思いついて「曠野《あらの》」という中世風なものがなしい物語を書いた。
 主 あの小説は読んだよ。大和までわざわざ仕事をしにきて、毎日お寺まわりしながら、やっぱり、ああいうものを書いているなんて、いかにも君らしいとおもったよ。
 客 あれは、いまおもえば、僕のさびしい詮《あきら》めだった。それが何処かで、あの物語の女のさびしい気もちと触れあっていたのだな……
 主 そういえばそうもいえようが、あれもあれでいい。だが、僕は君の新らしい仕事を期待している。勇気を出して、いつまでもその仕事をつづけてくれたまえ。
 客 うん、ありがとう。ひとつ一生をかけてもやるかな。……それまでのうちに、これから何遍ぐらいこっ
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