なレクヰエムだ、古代の埃及《エジプト》びとの数種の遺文に与えられた「死者の書」という題名が、ここにも実にいきいきとしている。
主 毎日の写経に疲れて、若い女主人公がだんだん幻想的になって来、ある夕方、日の沈んでゆく西のほうの山ぎわにふと見知らない貴いおかたの俤《おもかげ》を見いだすところなども、まだ覚えている。
客 あの写経をしている若い女のすがたは美しいね。僕はあそこを読んでからは女の手らしい古い写経を見るごとに、あの藤原の郎女《いらつめ》の気高くやつれた容子《ようす》をおもい出して、何んとなくなつかしくなる位だ。
主 あの小説には、それからもう一つ、別の興味があった。大伴家特《おおとものやかもち》だ。柳の花の飛びちっている朱雀大路《すざくおおじ》を、長安かなんぞの貴公子然として、毎日の日課に馬を乗りまわしている兵部大輔《ひょうぶたいふ》の家持のすがたは何んともいえず愉《たの》しいし、又、藤原仲麻呂《ふじわらのなかまろ》がその家持と支那文学の話などに打ち興じながら、いつか話題がちかごろ仏教に帰依した姪の郎女《いらつめ》のうえに移ってゆく会話なども、いかにもいきいきとしていたな。
客 そういうところに作者の底力がひとりでに出ている。人間として大きな幅のある人だ。
主 一方、万葉学者としてもっとも独創に富んだ学説をとなえてきた、このすぐれた詩人が、その研究の一端をどこまでも詩的作品として世に問うたところに、あの作品の人性《ユマニテ》があるのだね。だが、どうしてあれほどのものが世評に上らなかったのだろう。
客 世間はそういう仕事は簡単にディレッタンティズムとしてかたづけてしまうのだ。学界の連中は、こんどは小説という微妙な形式なので、読まずともいいとおもったろうし……本当にこの作品を読んだという人は、僕の知っている範囲では、五人とはいなかったものね。
主 僕などもその一人だったわけか。幸福なる少数者の……しかし、それはそれだ。君もいい仕事をしてくれたまえ。いい読者になってあげるから。
客 こんどはこっちに風が向いてきたな。まあ、もうすこし待ってくれ。まだ自分でもしようがないとおもうのは、大和の村々を歩いていると、なんだかこう、いつもお復習《さらい》をさせられているような気もちが抜けないことだ。もうすこし何処にいるのだかも忘れたようになって、あるときは初夏の
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