續プルウスト雜記
堀辰雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)俗《バナル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#アステリズム、1−12−94]
*:注釈記号
(底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)戰勝標《トロフェ》*
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プルウストに關する三つの手紙を神西清に宛てて書いてから數ヶ月が過ぎた。
その間、私は心にもなく、プルウストの本を殆ど手離してゐた。
唯、ときたま、ガボリイのプルウスト論の中で見つけた「私の月日が砂のやうに私から落ちるのを感ずる悦び」と云ふクロオデルの言葉が思ひがけずに私の口をついて出てくるやうな瞬間があつた。そしてちよつとの間だけ、私はその文句そつくりの悦びに浸つてゐるのだつた。
そしてその時はまた、私に、數ヶ月前プルウストを夢中になつて讀んでゐたときの思ひ出がいつの間にか蘇つてゐる時でもあつた。
※[#アステリズム、1−12−94]
その數ヶ月の間に私は何をしてゐたか? 私は俗《バナル》な小説を二つばかり書いた。
夏のはじめに、ふと口に頬ばつたボンボンの味が、ながいこと忘れてゐた夏休みの樂しさだとか、悲しみだとかを、私のうちにまざまざと蘇らせた。輕井澤のホテルに飛んで行つて、私はせつかちにその思ひ出を書取つた。
秋になつた。ジョルジュ・ガボリイの「マルセル・プルウストに就いてのエッセイ」を讀んだ。ガボリイは、すでに死に瀕してゐたプルウストの代りに「ソドムとゴモル」や「囚はれの女」の校正をした時のことなどを物語つてゐる。これを讀んでゐたら私は急にその二つが讀みたくなつた。
私は「ソドムとゴモル」を讀み出した。が、すぐにそれを放棄しなければならなかつた。秋には定期的に出る熱がまたしても私を襲ひ出したから。
一月ばかり私はぢつと寢てゐた。そして僅かに「※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘルム・マイステル」などを讀んだ。
冬になつた。私の二十代はそんな空虚のまま、この冬のうちに閉ぢようとしてゐた。
私は再びせつかちに私の二十代の最後の小説にとりかかつた。それが私の過去の作品の無意味な繰返しになりさうなことは自分にも分つてゐた。しかしその時はどうしてもこれを書いてしまはなけれは他のものには手がつかないやうな氣持だつた。
私はそれを書き上げた翌日、上野の美術館にフランス繪畫展覽會を見に行つた。そして私はたくさんの騷がしい乾いた印象しか受けないやうな繪の前を通り過ぎた後、一枚の大きなパステルの前までくると、そこに三十分ばかり私は釘づけにされた。その畫面一ぱいに何だか得體の知れぬ壞れたものがごたごた[#「ごたごた」に傍点]に積み上げられてゐる間から、或る不思議な靜寂がひしひしと感じられてくるのだつた。そして私にはその苦しさうな古代的靜けさのみがひとり眞實なもののやうに感じられ、それだけが現代にしつかりと根を張つてゐるやうに思へた。それはジォルジオ・デ・キリコの「戰勝標《トロフェ》*」だつた。
「こんな繪を見せられちやたまらないなあ――」
昂奮してその繪の前を去りながら、私はただ溜息をついた。私はひどく疲れたやうな氣がした。そしてなんだか急に自分の書き上げたばかりの作品があまり性急で、あまり乾いてゐるやうに思へだした。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* そのキリコの繪と向ひ合つてピカビアの數枚の繪が並んでゐた。ピカビアは古代とたはむれてゐる。それをからかつてゐる。だからその繪は騷しいだけなのだ。さう云ふ缺點がキリコの古代のやうに靜かな繪の前だけに一層目立つて見えた。
[#ここで字下げ終わり]
※[#アステリズム、1−12−94]
眠りから醒めた瞬間、いま夢みてゐたばかりのごたごた[#「ごたごた」に傍点]した不確かな事物の間から、一つの像――たとへば一つの女の顏だけが、私の目にありありと殘つてゐる。そしてその不思議な美しさが、私に、以前から彼女に對して抱いてゐる愛をその時はじめて氣づかせるやうなことがある。キリコの繪のなかの漂流物の間に混つてゐた一個の青ざめた石膏の首はそれに似てゐた。
※[#アステリズム、1−12−94]
今、考へて見ると、さう云ふキリコの悲痛な繪を自分の二十代が終らうとしてゐる瞬間に私が見たと云ふことは何か意味がありさうに思へるのだ。
その繪を見てきてから數日といふもの、私はへんに切なくてならなかつた。キリコの悲痛な美しさが、そしてこの頃そんなキリコの繪にだけすがりついてゐるやうに見えるコクトオの苦しい氣持が、私には今までになくしみじみと分かつたのだ。
私は突然、獨逸語を勉強し直さうと思つた、ゲエテが原文で讀みたくなつたのだ。キリコが私をゲエテに向はせたのだ。私は、今日[#「今日」に傍点]のすぐれた詩や繪の中で死に瀕してゐるやうに見える靜かな古代的な美しさを、その昨日[#「昨日」に傍点]の生き生きした完全な姿でもつて見直したいのだ。
私はインゼル版の「詩と眞實」などを買つてきた。しかし永いこと獨逸語を讀まない私にはすぐにはそれを讀めさうもなかつた。
※[#アステリズム、1−12−94]
私はしばらくどうしやうもない氣持で日を過してゐたが、或日、ぶらりと神戸へ出かけた。
露西亞人ばかりのゐる、小さなホテルに泊つた。そのホテルのことを私は「旅の繪」といふ小品の中に描いた。
私はトランク一個すら持たず、勿論、本などは一册も持つて行かなかつた。そんなものは讀みたくもなかつたのだ。しかし、最初の夜、慣れないベッドの上になかなか寢つかれず、本がなくて困つたので、翌日私は海岸通りの何とかいふ藥とパイプと洋書を賣つてゐる店でサミュエル・ベケットの「プルウスト」といふ小さな英語の本を見つけて買つてきた。
晝間は町や波止場をぼんやり散歩をして、夜寢るときだけそれを讀んだ。言つてゐることには大して獨創的なところはないが、しかしプルウストの方法をかなりてきぱきと紹介したものなので、ある頁は私に私の嘗つて讀んだことのある數十頁にわたる長い情景を一瞬間に蘇らせ、また他の頁は今度は是非そこを讀んで見たいものだと私に空想させたりしてくれるので、なかなかその夜毎の一二時間の讀書は樂しかつた。
そこに一週間ばかり滯在してゐるうち、私は扁桃腺をやられて、しかたなしに家へ歸つた。ベケットに刺戟された私は寢ながらプルウストの「再び見出された時」を讀みはじめた。
私はもうすでに三十歳になつてゐた。
※[#アステリズム、1−12−94]
「再び見出された時」は漸く私を活氣づけてくれた。
プルウストがそれまで私の内部に奧深く眠つてゐたものを少しづつ呼び醒ましたのだ。すでにコクトオやなんかが私の内部をすつかり耕してしまつたものと思つてゐたのに。私の内部に眠つてゐるものはまだまだうんとあるのだ。その發見が何よりも私を元氣づけた。
私は當分プルウストを讀んでやらう。さうだ、それからゲエテも讀まう。私は自分の跡にどんなジグザグな線が殘るか知らないが、ともかくもこの二つの相異つた精神について行つてやらう。その一方が詩に對する私のやや性急な愛をもつと平靜な愛[#「平靜な愛」に傍点]に變へてくれるだらうならば、また一方は*、私のこれまで殆ど打棄らかしておいた自己の考へへの誠實[#「自己の考へへの誠實」に傍点]を養つてくれるだらう。
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* プルウストのなげやりな混雜した文體は私の簡潔な文體への好みを困らせる。しかしそれはガボリイも言ふやうに、彼の美徳――誠實であること[#「誠實であること」に傍点]の結果であるやうに見える。私は今までのなまじつかな簡潔さよりも、さう云ふ誠實な混亂[#「誠實な混亂」に傍点]を欲しいのだ。
[#ここで字下げ終わり]
※[#アステリズム、1−12−94]
私がその秋のはじめに讀んだジョルジュ・ガボリイの「マルセル・プルウストに就いてのエッセイ」は、彼の内部に眠つてゐたものがプルウストによつて呼び醒まされた過程を精しく語つてゐて、面白い。
プルウストの死んだのはある冬の晩(一九二二年十一月八日)だつた。前から彼が重態であることは知つてはゐた。しかし彼の側近ではなかつたので、ガボリイはその翌朝、新聞を讀んではじめてその死を知つたのだつた。新聞にはごく小さな記事しか出てゐなかつた。それにはただ彼が一九一九年度のゴンクウル賞の受賞者だつたと云ふことだけが書かれてゐた。
「それは日曜日だつた。私は、アペリティフの時間になつてもまだブウルヴアルのあるカッフェの中に、プルウストが死んだといふことなぞ知らない人々の間に、坐つてゐた。私はボオドレエルの死を、そしてその死を知つたにちがひない人々のことを夢想した。それから私は再びプルウストの死の上に戻つて行つた。……私のホテルの部屋には、花模樣のある机掛で掩はれたテエブルの上に、『囚はれの女*』の原稿が載つてゐるのだ。……晩、私はそこに歸つて行つた。しかし、どうしても私はそれを讀み續けるやうな氣にはならなかつた。私のことを子供らしいと云ふ奴は云ふがいい。だが、前もつて自分の容態をはつきり知つてゐて、一生の間あんなにも死について考へてゐたその死者のことを思へば、この、タイプライタアで打たれてあるとは云へ、彼の手が觸れ、彼の眼差が注がれ、その餘白やその端に貼られてある(まるで未知の國の地圖のやうに擴げられる)薄つぺらな紙の上に彼が澤山の書入れをした、この原稿を諸君は何と見るか?」
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* 重態になつてゐたプルウストには「囚はれの女」の原稿を訂正することが出來なかつたので、前に「ソドムとゴモル」の校正を見たガボリイがその仕事を託されてゐた。「囚はれの女」は彼の死後間もなく刊行された。
[#ここで字下げ終わり]
※[#アステリズム、1−12−94]
ガボリイは「ソドムとゴモル」の校正をするまではプルウストを殆ど讀まないでゐたことを告白してゐる。
「スワン家の方」の最初の部分をほんの少し讀んで、なんだかそれから晦澁な、ぎごちない印象を受けたままそれを放棄してしまつたのだと云ふ。そしてそれの文章の長過ぎることを彼は讀まない口實にしてゐた。ともかくも彼はプルウストを理解しなかつたのだ。が、心の底ではそれが單なる時の問題にすぎないやうに感じてゐた。
さう云ふガボリイをプルウストの方へ導いたのは、フロイドだつたのだ。
そこでガボリイは、フロイドの學説が初めて巴里に這入り込んできたときの話をし出してゐる。フロイドの弟子である、あるポオランドの婦人がやつてきて彼女の小さなサロンで初めてその學説を紹介した。その會にはN・R・Fの作家たちも殆ど全部出席した。しかし或者にはその會の目的は科學ではなかつた。それを氣晴らしだと思つてゐた。だんだん皆は不注意になり、不眞面目になつて行つた。そして最後の會はとうとう馬鹿笑ひの中に終つた。
その會はそんな不首尾に終つてしまつたが、しかし精神分析に對する興味はガボリイをプルウストの方へ導いて行つた。プルウストは勿論フロイドを知らないだらうし、フロイドも恐らくプルウストを讀んでゐないであらうが……
その時丁度、ガボリイはN・R・Fの社長から「ソドムとゴモル」の校正を託されたのだ。
※[#アステリズム、1−12−94]
「『ソドムとゴモル』の書き出しは私に私の初期のボオドレエル熱を思ひ出させた。」とガボリイは書いてゐる。
「……ボオドレエルの思ひ出が私をプルウストの作品へ導いて行つた。プルウストとボオドレエルの間には多くの類似點があるのだ。プルウストはボオドレエルのやうに、死
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