※[#アステリズム、1−12−94]
以上抄したものはガボリイのエッセイの最初の一部分に過ぎない。ガボリイの筆は更らに、プルウストが非常な關心を持つてゐたやうに見える夢の分析に向ひ、それから更に彼の描いたレスビアン達の方へ向けられてゆく。
しかし其處は、私がまだ充分に讀んでゐない「ソドムとゴモル」や「囚はれの女」を讀み終つてからにでもした方がいい。
※[#アステリズム、1−12−94]
サミュエル・ベケットの「プルウスト」はガボリイのエッセイ風なものと異つて、プルウストの方法を丹念に追究してゐる。(ベケットと云ふ人のことは少しも知らないが、聞けば「トランジション」などによく詩を出してゐるイギリスの若い詩人ださうである。)
ベケットは先づプルウストの謂ふところの無意的記憶[#「無意的記憶」に傍点]を説明してゐる。(それに就いては私もこの前の「雜記」の中で説明した。)さうしてベケットはその無意的記憶[#「無意的記憶」に傍点]の主要な例が「失はれた時を求めて」全卷のうちに約十一許りあることを指摘してゐる。次に擧げるのがそのリストだ。
[#ここから1字下げ、折り返して3字下げ]
1 茶の中に浸したマドレエヌ。(「スワン家の方」☆)
2 ペルスピエ醫師の馬車から認めたマルタンヴィルの鐘塔。(同右☆)
3 シャンゼリゼエの亭の黴くさい臭ひ。(「花さける少女の影に」☆)
4 バルベックの近くで、ヴィユパリジス夫人の馬車から認めた三本の樹木。(同右☆☆)
5 バルベックに近い山査子《さんざし》の籬。(同右☆☆)
6 バルベックのグランド・ホテルへ二度目に行つた時、彼は彼の靴のボタンをはづさうとして屈む。(「ソドムとゴモル」☆☆)
7 ゲルマント邸の中庭のでこぼこな石疊(「再び見出された時」☆☆)
8 皿にぶつかるスプウンの音。(同右☆☆)
9 彼はナプキンで口を拭く。(同右☆☆)
10 水管を通る水の音(同右☆☆)
11 ジョルジュ・サンドの「フランソワ・ル・シャンピ」。(同右☆☆)
[#ここで字下げ終わり]
私は此處でベケットの本を離れて、それらの十一の無意的記憶に關して私のための覺書をつけて置きたい。
最初の有名なマドレエヌは前の「雜記」にも引用したから省略する。第二の經驗は、幼時、ペルスピエ醫師の馬車に乘せて貰つてコンブレエへ歸る途中に起る。ある道の曲り角で、夕日に照らされてゐるマルタンヴィルの鐘塔を認めたとき、彼はなんとも云ひやうのない悦びを感ずる。「私にはそれらの姿を地平線に認めて私の受けた悦びの理由は分らなかつたし、その理由を是が非でも發見しようとすることはずゐぶん苦しいやうに思はれた。……」そのうちその鐘塔の背後に隠されてゐるものがいくらかづつ彼にはつきりしてくる。これまでになかつたやうなある考へが浮んでくる。それが言葉といふ形式をとり出す。彼は醫師から鉛筆と紙を貰ふと、すぐその場で、鐘塔の與へつつある印象を書きつける。それを書き上げてしまふと、とても嬉しくなつて、彼は聲をかぎりに歌ひはじめる。
第三の場合は、シャンゼリゼエで少女たちと遊び疲れて、自分の家への歸り途、四目垣のある亭《ちん》の黴くさいやうな臭ひを嗅ぐと、突然、いままで潛伏してゐた幻《イマアジュ》が浮び上るのだ。その幻はそれとそつくり同じやうにじめじめした臭ひのしてゐた、コンブレエのアドルフ叔父さんの小さな部屋のそれなのだ。しかし何故こんなつまらない幻の喚起がこんなにも異樣な悦びを彼に與へるのか分らないでゐる。
第四の場合。バルベックの近郊をヴィユパリジス夫人などと共に馬車を駆らせてゐる間に、彼は三本の樹木を認める。「私は三本の樹木を見つめた。私はそれを十分に見ることが出來た。しかし私の心にはそれらが何かしら得體の知れないものを隱してゐるやうに感じられた。……私はどんなにか一人きりになつてしまひたかつたらう。……さうしなければいけないやうにさへ私には思へた。私は一種特別な悦びを覺えてゐたけれども、それはもつともつとそれに就いて考へるやうにと私を強ひたのだ……」
しかし馬車は遠ざかつて行く。
「馬車は私がそれのみ眞實であると信じてゐたものから、私を眞に幸福にさせもしたであらうものから、ずんずん私を引き離して行つた。……私はまるでひとりの友人を失つたやうに、自殺をしたやうに、ひとりの死人を知らない振りをしたやうに、神を否認したやうに、大へん悲しかつた。」
第五の場合も同じバルベックである。アンドレエといふ女友達と一緒に散歩をしてゐるうちに、
「突然、とある凹んだ小徑で、私は幼時のやさいし思ひ出に心臟をしめつけられて立止つた。私は私の足許にまで延びてゐる、擦り切れた、艶のある葉によつて、もうすつかり花の落ちつくした山査
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