堀辰雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)迂回《うかい》している
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 或る秋の午後、私は、小さな沼がそれを町から完全に隔離している、O夫人の別荘を訪れたのであった。
 その別荘に達するには、沼のまわりを迂回《うかい》している一本の小径《こみち》によるほかはないので、その建物が沼に落しているその影とともに、たえず私の目の先にありながら、私はなかなかそれに達することが出来なかった。私が歩きながら何時《いつ》のまにか夢見心地になっていたのは、しかしそのせいばかりではなく、見棄てられたような別荘それ自身の風変りな外見にもよるらしかった。というのは、その灰色の小さな建物は、どこからどこまで一面に蔦《つた》がからんでいて、その繁茂の状態から推すと、この家の窓の鎧扉《よろいど》は最近になって一度も開かれたことがないように見えたからである。私は、そういう家のなかに、数年前からたった一人きりで、不幸な眼疾を養っているといわれる、美しい未亡人のことを、いくぶん浪漫的《ロマンチック》に、想像せずにはいられなかった。
 そうして私は、私の突然の訪問と、私の携えてきた用件
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