ノ身を投げない、溺死は彼をすこしも鼓舞しない。指物師は、自分の首がすつぱりと快く切られるやうにと、よく工夫し修正した斷頭臺を作る。かかる自殺の中には美學がある。自分の最後の行爲を注意深く構成せんとする氣遣ひがある。
 不死身であるところのあらゆる存在物は、彼等の魂の影のなかに、人殺しの夢遊病者、執念ぶかい夢想者、二重人格[#「二重人格」に傍点]、曲げがたき掟の實行者がゐるごとくに見える。彼等はときどき空虚なそして神祕的な微笑(それは彼等の單調な神祕のしるしであり、そして彼等の不在(absence)の存在(〔pre'sence〕)を示すものだ)を洩らす。おそらく彼等は彼等の生を空しい或は辛い夢(そのために彼等は何時も餘計に疲れたやうに、餘計に目ざめんと努めてゐるかのやうに、感じるのであるが)のやうに知覺するだらう。すべてのものが彼等には存在しないよりももつと悲しく、もつとつまらなく見えるのである。
 私はこれらのいくつかの考察を、分析の正確に可能な場合によつて完結しよう。不注意による自殺といふものがあり得る。それは不意の出來事からは明らかに區別されるべきものである。一人の男がそれに彈丸の填
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