色褪せた書簡箋に
堀辰雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)上面《うはべ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#アステリズム、1−12−94]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔presence'〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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まだ發表しないでそのまま何處かへ藏ひ込んでしまつたアポリネエルの飜譯が二三あつたのを思ひ出して、僕は數日前、ごちやごちやになつた手文庫の中を丹念に搜してゐたら、「贋救世主アンフィオン」などの譯稿と一しよに、そんなもののあつたのを僕自身すつかり忘れてゐた、四枚ばかりの色褪せた書簡箋に細かな字で書き込んである、或る一個の覺書が見つかつた。それには「自殺に就いてのテスト氏の意見」といふ題がつけられてゐるが、それは僕が自分の心覺えのために勝手につけて置いたものである。そしてこれは數年前に佐藤朔君から借りた「LA REVOLUTION SURREALISTE」の一册からの拔萃なのである。何でもその號にはブルトンの一派が「人は夢みるごとくに自殺をする。果して自殺は解決なりや否や?」と云ふ質問を多數の學者や詩人等(その中には僕がその名を知らぬ人が澤山ゐたにはゐたが)に發して彼等のアンケエトを集めてゐたが、その中にムシュウ・テストなるものの囘答が混つてゐるのを見つけたので、僕はすぐさまヴァレリイの小説の同名の人物を思ひ出しながらそれを讀んだ。讀んで見ると、僕がそれまで讀んだいくつかの囘答の中でそれが一番面白かつた。それにその言草がいかにもヴァレリイに酷似してゐるやうにも思へた。ヴァレリイの「テスト氏」が架空の人物なることはその序文でも分るが、他にテスト氏なる人物が實在してゐるといふことも聞いたことがないし、ことによるとこれはブルトン等がムシュウ・テスト[#「ムシュウ・テスト」に傍点]なるものの囘答を勝手に捏造したのではないか? さうすることによつてヴァレリイの「テスト氏」を揶揄したのではないか? そんな疑ひも僕に起らぬではなかつた。眞面目と冗談とのけぢめのなくなつてゐる彼等のことだから、こんなことも平氣でするのかも知れないと思つた。それにしてもそのムシュウ・テスト[#「ムシュウ・テスト」に傍点]の自殺に就いての意見は僕には甚だ面白く思へた。そしてそれだけを有り合はせの書簡箋に心覺えに譯して置いたのであつた。いま手許に原文がないのでその僕の譯には調べ直したら間違ひがどの位澤山あるか分らないが、その頃の僕(一九二八、九年)をかたみする意味でそれを此處にそのまま載せて置かうと思ふ。
※[#アステリズム、1−12−94]
「自殺する人々。ある者等は自己に克つ[#「自己に克つ」に傍点]。他の者等は、反對に、自己に負け[#「自己に負け」に傍点]て、彼等の運命曲線(私はそれがどういふものであるか知らぬが)に從ふがごとくに見える。
前者は境遇によつで強ひられるのだ。後者は彼等の性質によるのだ。そして運命の上面《うはべ》の好意は彼等が一番の近道を通ることを妨げない。
自殺の第三の種類として次のものが考へられる。ある種の人々は人生を非常に冷靜に考へる、そして非常に絶對的な、非常に野望的な考へをもつ、そのために彼等は彼等の死の處分を出來事や有機的變化の偶然に委ねたくないのである。彼等は老衰を、失格を、出來事を嫌惡する。我々は古人の中にさういふ人間離れした決斷のいくつかの實例といくつかの讚美とを見出す。
境遇によつて強ひられた自殺(私が第一に述べたところのもの)に關しては、その考へがその當人に抱懷されるにいたるのは、丁度或る一定の計畫どほりになるべき行爲のやうにだ。それは或る災惡を確實[#「確實」に傍点]に根絶せんとする無氣力[#「無氣力」に傍点]から生ずる。あらゆるものを除去してしまふといふ迂路によつてしかその目的は達せられない。些事と現在とを除去するために全體と未來とを除去しようとする。あらゆる意識を除去しようとする。(さういふ一個の考へを除去し得ないから。)あらゆる感受性を除去しようとする。(さういふ手のつけやうのない、又絶えることのない、悲しみと絶縁し得ないから。)
ヘロデがすべての赤ん坊の首を斬らせたのは、その中の唯一人の死が彼には重要なのだが、その一人を見分け得なかつたからだ。ある男は、自分の家を荒らしてしやうがないが、どうしても捕らない鼠に夢中になつて、その鼠を追ひ出すことの出來ない建物全體を燃やしてしまふ。
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