@かくのごとく一人間の手の屆かない個所の惡化は一切のものを壞滅せしめるに至る。絶望せるものはぼんやりと行爲す[#「ぼんやりと行爲す」に傍点]べく誘はれる。或は強ひられる。
 その自殺は「不手際な解決」である。
 それ許りではない。人間の歴史は不手際な解決のコレクションである。我々のあらゆる意見、我々の判斷の大部分、我々の行爲の最多數は、單なる窮策にすぎない。
 第二種の自殺は、無限の陰鬱なる悲哀に、苦惱に、不吉な、そして特に祕されてゐた形象《イマアジュ》による眩暈に、なんらの抵抗もなし得ない人々の不可避的な行爲である。
 かかる種類の人々は、「死滅する」といふ一般的な意見或は觀念《イデエ》に對して感じ易[#「感じ易」に傍点]くなつてゐるやうに見受けられる。彼等は中毒者に比較すべきだ。死を追求する彼等の中に、藥品を搜す中毒者のところに認められるのと同じ根氣よさ、同じ不安、同じ詭計、同じ佯りを我々は觀察する。
 或者は積極的に死を欲しないが、一種の本能の滿足を欲するのだ。屡※[#二の字点、1−2−22]と彼等を魅するのは死の方法《ジアンル》そのものである。首をくくらうと思ふものは、決して川に身を投げない、溺死は彼をすこしも鼓舞しない。指物師は、自分の首がすつぱりと快く切られるやうにと、よく工夫し修正した斷頭臺を作る。かかる自殺の中には美學がある。自分の最後の行爲を注意深く構成せんとする氣遣ひがある。
 不死身であるところのあらゆる存在物は、彼等の魂の影のなかに、人殺しの夢遊病者、執念ぶかい夢想者、二重人格[#「二重人格」に傍点]、曲げがたき掟の實行者がゐるごとくに見える。彼等はときどき空虚なそして神祕的な微笑(それは彼等の單調な神祕のしるしであり、そして彼等の不在(absence)の存在(〔pre'sence〕)を示すものだ)を洩らす。おそらく彼等は彼等の生を空しい或は辛い夢(そのために彼等は何時も餘計に疲れたやうに、餘計に目ざめんと努めてゐるかのやうに、感じるのであるが)のやうに知覺するだらう。すべてのものが彼等には存在しないよりももつと悲しく、もつとつまらなく見えるのである。
 私はこれらのいくつかの考察を、分析の正確に可能な場合によつて完結しよう。不注意による自殺といふものがあり得る。それは不意の出來事からは明らかに區別されるべきものである。一人の男がそれに彈丸の填つてゐるのを知つてゐるピストルをいぢつてゐる。彼には自殺したい欲望も考へもない。しかし彼は何かしら快感をおぼえつつその武器を握つてゐる。彼の掌が銃尾に結ばれる。彼の食指が引金にひつかけられる、一種のよろこびをもつて。彼は行爲を想像する。彼はだんだん武器の奴隷になりはじめる。武器はその所有者を誘惑する[#「誘惑する」に傍点]。彼はぼんやりと自分の方へ銃口を向ける。彼はそれを自分の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]に、自分の齒に近づける。あゝ危いかな? 何故ならば人間機能の觀念が、肉體によつて下準備され、精神によつて完成されるところの行爲の壓力が、彼を裏切るからである。壓力の循環が完了せんとする。神經組織はそれ自身充填されたピストルになる。そして指は突然しまらんとする[#「しまらんとする」に傍点]のだ。……」

          ※[#アステリズム、1−12−94]

 以上のところで僕の抄は終つてゐる。これからもつとあとがあつたのやら、ないのやら、僕ほもうすつかり忘れてしまつてゐる。佐藤朔君にでも今度會つたら、それを調べて置いて貰はう。
 テスト氏と云へば、僕はこの間本郷の古本店で「テスト氏との一夕」の載つてゐる「サントオル」といふ雜誌を見つけて買つてきた。ヴァレリイがピエル・ルイスやレニエやジィド等と一しよにやつてゐた同人雜誌である。英國でビアヅレエイ等のやつてゐた「イエロウ・ブック」と比較して見ると、非常に共通した點があつてなかなか興味が深い。
「テスト氏との一夕」はP・V・といふ筆名で發表されてゐるが、目次にはその表題の下にちやんと nouvelle と銘が打たれてある。「テスト氏」が小説であるかどうかに就いて大ぶ議論もあるやうだが、ヴァレリイ自身はこれを小説として書いたものらしい。
 言ひ忘れてゐたが、僕が手に入れたのは「サントオル」の第二號である。雜誌のうしろについてゐる附録で見ると、創刊號の要目に唯Pといふ署名で「詩二篇」とあるのがヴァレリイであらう。それから、第三號豫告にP…V…といふ署名で「ポオ、ニイチェ」とあるのもヴァレリイにちがひないが、そんな題のエッセイはとうとう書かれずにしまつたものと見える。又、近刊豫告には「地の糧」などと竝んでノヴァリスの「青い花」が出てゐる。譯者はアンドレ・ジィド。これは僕の夢ではない。但し、そんな本は世界中搜し
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