雪の上の足跡
堀辰雄
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)獣《けだもの》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)茶屋|旅籠《はたご》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]
−−
高原の古駅における、二月の夕方の対話
主 やあ、どこへ行ったかと思ったら、雪だらけになって帰って来たね。
学生 林の中を歩いて来ました。雑木林の中なぞは随分雪が深いのですね。どうかすると、腰のあたりまで雪の中に埋まってしまいます。獣《けだもの》の足跡が一めんについているので、そんな上なら大丈夫かとおもって、足を踏みこむと、その下が藪《やぶ》になっていたりして、飛んだ目に逢ったりしました。
主 君と、兎なんぞが一しょになるものかね。それに、もういくぶん春めいて来ているから、凍雪《しみゆき》もゆるんで来ているのだろう。だが、そうやって雪の中が歩けてきたら、さぞ好い気もちだろうなあ。
学生 ええ、実に愉快でした。歩きながら、立原道造さんの詩にも、こうやって林の中をひとりで歩きながら、深い雪の底に夏の日に咲いていた花がそのまま隠れているような気がしたり、蝶の飛んでいる幻を見たりするような詩があったのを思い出しました。
主 立原は、僕がはじめてここで冬を越したとき、二月になってからやって来た。あいにく僕が病気で寝こんでいたので、君のように、ひとりで林の中を雪だらけになって歩いて帰って来たっけ。そのときの詩だろう。もう七八年前になるかなあ。……どうだい、狐のやつの足跡はついていなかったかい?
学生 狐の足跡はどうも分かりませんでした。どんなんだか、まだそれもよくは……。
主 そうだな、こう、まっすぐに、一本の点線を雪の面《おもて》にすうっと描いたような具合に、林のへりなぞをよく縫い歩いているのだがね。兎のやつのは、そこいら中を無茶苦茶に跳びまわると見え、足跡も一めんに入りみだれているが、狐のやつのは、いつもこう一すじにすうっとついている。そしてそのまま林の奥にほそぼそと消えていたり、どうかすると思いがけず農家の背戸《せど》のあたりまで近づいて来ていたりする。
学生 狐なぞがまだこのへんにうろつい
次へ
全7ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング