ているのでしょうかしら?
主 いるらしい。このごろは冬になると、僕はからきし意気地《いくじ》がなくなって、ちっとも雪の中を歩かないが、二三年前にはそんな足跡をいくつも見たことがある。しかし、いたって、もうたかの知れたもんだ。せいぜい農家の鶏を盗《と》りにくる位なものだろう。
学生 いつだかお書きになっていた、昔、武家に切り殺された、この宿《しゅく》の遊女の墓に夜ごとに訪れてくる老狐の話――なんでもその墓にひとりでに罅《ひび》が入って、ちょうど刀傷のように痛いたしく見えた、その傷のあたりをその狐が舐《なめ》て[#「舐《なめ》て」は底本では「舐《なめ》めて」]やっていたとかいう話でしたね。――あれはこの村の話なのですか?
主 この村ではないが、隣りの村の古老にきいた話だ。ハアンでも好んで書きそうな話だ。ああいう話が残っていたら、もっと聞きたいものだが、あまり無いようだね。どうもこういう古駅には一たいに昔話なぞが少ないのではないかね。維新前までは茶屋|旅籠《はたご》がたてこみ、脇本陣だけでも遊女が百人からいたという、名高い宿《しゅく》のあとだもの。その日その日にちがった話を諸国の旅びとから聞くのに追われて、山奥なぞのつれづれな炉ばたで人にときどきふと思い出されては漸《ようや》く忘却から蘇《よみがえ》らされて来たような、そういう昔話の残っていないのも当然だろうじゃあないか。
学生 そうかも知れませんね。しかし、まだ二つや三つはそんな話もありそうな気がしますね。
主 そう、ありそうな気もする。ところが、ありそうで無いんだ。なんにも無いくせに、そんな雰囲気だけはもっている――そこがまあ現在のこの村の一種の持味で、僕なんぞにはかえってぴったりしているのだろうと思う。こんなに荒廃して、それがそれなりになんとなく錆《さ》びて落ち着いてきている、そんなところからそういう一種の味が出ているのだろうね。だから、つまらないことまで、妙に生き生きとして感ぜられて来ることもある。僕がはじめてこの村に来た当時のことだが、或日、昔の屋敷跡らしい大きな石崖のうえに立って、秋らしい日ざしを浴びながら、病みあがりらしくぼんやり蓼科山《たてしなやま》の方をながめていた。その晩、宿の主人がいうのに、そのときそうやって石崖のうえに立っていた僕の姿を遠くから見かけて、ふと子供のときに見た一匹の傷ついた鹿
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