……すぐまた参りますから……」
 そうして彼は立ち上った。

 そこに一人ぎりになると、細木夫人はまた目をとじて死人の真似をした。
 ――まるで舞踏会かなんぞのようなあの騒ぎは何ということだろう。私にはとてもあの人達の中へはいって行けそうもない。私はこのまま帰ってしまった方がいい……
 それにしても夫人はいまの青年の帰ってくるまで待っていようと思った。何だかその青年に一度どこかで会ったこともあるような気がし出したから。そう言えば何処かしら死んだ九鬼に似ているところがあると彼女は思った。そしてその類似が彼女に一つの記憶を喚《よ》び起《おこ》した。
 数年前のことだった。軽井沢のマンペイ・ホテルで偶然、彼女は九鬼に出会ったことがあった。その時九鬼はひとりの十五ぐらいの少年を連れていたが、彼はその少年にちがいないと思い出した。――その快活そうな少年を見ながら、彼女がすこし意地わるそうに、「あなたによく似ていますわ。あなたのお子さんじゃありませんの?」そう言うと、九鬼は何か反撥するような微笑をしたきり黙りこんでしまった。その時くらい九鬼が自分を憎んでいるように思われたことはない……


 河野
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