……
 扁理は目をさました。見ると、散らかった自分の枕もとに、見おぼえのある、立派な封筒が一つ落ちているのだ。
 おや、まだ夢の続きを見ているのかしら……と思いながら、それでもいそいでその封を切って見ると、手紙の中の文句は明瞭《めいりょう》だった。ラファエロの画集を買い戻しなさいと言うのだ。そしてそれと一しょになって一枚の為替が入っていた。
 彼はベッドの中で再び眼をつぶった。自分はまだ夢の続きを見ているのだと自分自身に言ってきかせるかのように。


 その日の午後、細木家を訪れた扁理は大きなラファエロの画集をかかえていた。
「まあ、わざわざ持っていらっしったんですか。あなたのところに置いておけばおよろしかったのに」
 そう言いながらも、夫人はそれをすぐ受取った。そうして籐椅子《とういす》に腰かけながら、しずかにそれを一枚一枚めくっていった……と思うと、突然、それを荒あらしい動作で自分の顔のところに持ち上げた。そしてその本のにおいでも嗅《か》いでいるらしい。
「なんだか莨《たばこ》のにおいがいたしますわ」
 扁理は驚いて夫人を見上げた。咄嗟《とっさ》に九鬼が非常に莨好きだったことを思い
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