※[#アステリズム、1−12−94]

 それまで彼の夢にしか過ぎなかった細木家というものが、急に一つの現実となって扁理の生活の中にはいってきた。
 扁理はそれを九鬼やなんかの思い出といっしょくたに、新聞、雑誌、ネクタイ、薔薇《ばら》、パイプなどの混雑のなかに、無造作に放り込んでおいた。
 そういう乱雑さをすこしも彼は気にしなかった。むしろそれに、彼自身に最もふさわしい生活様式を見出していたのだ。

 或る晩、彼の夢のなかで、九鬼が大きな画集を彼に渡した。そのなかの一枚の画をさしつけながら、
「この画を知っているか?」
「ラファエロの聖家族[#「聖家族」に傍点]でしょう」
 と彼は気まり悪そうに答えた。それがどうやら自分の売りとばした画集らしい気がしたのだ。
「もう一度、よく見てみたまえ」と九鬼が言った。
 そこで彼はもう一ぺんその画を見直した。すると、どうもラファエロの筆に似てはいるが、その画のなかの聖母の顔は細木夫人のようでもあるし、幼児のそれは絹子のようでもあるので、へんな気がしながら、なおよく他の天使たちを見ようとしていると、
「わからないのかい?」と九鬼は皮肉な笑い方をした
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