まう。おばさんの家は狭かったが、格子戸《こうしど》を開けて入ったすぐ横の三畳が茶の間になっていて、そこの長火鉢《ながひばち》の前でおばさんはいつも手内職をしているきりなので、弘は奥の八畳の間を一人で占領して、茶ぶ台を机の代りにして、その上で夢中になって帳面に何やら円だの線だのばかりを描いている。……

        ※[#アステリズム、1−12−94]

 その日は、二三日うちに牛島神社のお祭りが始ろうとする日のことである。九月も半ばに近かった。
 弘はさっきからおばさんの家の八畳の間で、しきりに勉強をやっている。相変らず帳面に円だの線だのを引張っているのである。その日はおばさんが、中洲《なかす》の待合の女中をしているその姉のところに頼まれてあった縫物を持って出かけていったので、一人で留守番をさせられている。自分の家からは、職人たちの金物を彫っている metallique な音に雑《ま》じって、ときおり若い娘たちの笑い声が聞えてくる。今度のお祭りには、弘の父のきもいりで、町内に屋台をこしらえて、そこに娘たちの生花を並べようというので、さっきから白髯の師匠や代稽古格《だいげいこかく》の
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