》が茂り、それが一部分折られているだけで、その他にはもう其処には何も見えなかった。それだのに、人々は何かが其処にまだ見えでもするかのように、その惨事の痕《あと》をじっと見入っていた。
私は再びペダルを踏みながら、やっとその長い橋を渡りきり、そしてそのままY村にはいって行った。遠くからその全体を見渡したときは、なんだか此処《ここ》もこの数年間にすっかり変ってしまっているように思えた。それほど見知らない大きな工場が、沢山出来てしまっているのだ。が、その村を二等分している真っ黒な掘割に沿うてすこし行き出すや否や、ことにその上に架っている多くの小さな木の橋と橋との間に、いまを盛りにコスモスが咲きみだれ、そしてその側に誰もいないのに四つ手網だけがかかっているのを見出した時には、突然、その村でのさまざまな思い出が私のうちに一どきに蘇《よみがえ》って来て、私は心臓がしめつけられるような気がした。そうして私は自転車ごと殆《ほと》んど倒れそうになった。私にはとてもこれ以上先きへ進むことは出来そうもないように思えた。……そのとき、その道ばたの一軒の茅葺《かやぶき》小屋の中から、襤褸《ぼろ》をきた小さな子
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