供が走り出してきて、その四つ手網を重そうに一人で持ち上げだした。その網の中には、きらきらと光りながら跳《は》ねているのでそれと分るような、小さな魚が二三匹ひっかかっていた……
私はやっと決心しながら、自転車を反対の方向に廻して、その村からずんずん引っ返していった。
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註一 「わたくしは幼い時|向島《むこうじま》小梅村に住んでいた。初の家は今須崎町になり、後の家は今小梅町になっている。その後の家から土手へ往くには、いつも常泉寺の裏から水戸邸の北のはずれに出た。常泉寺はなじみのある寺である。
わたくしは常泉寺に往った。今は新小梅町の内になっている。枕橋《まくらばし》を北へ渡って徳川家の邸の南側を行くと、同じ側に常泉寺の大きい門がある。わたくしは本堂の周囲にある墓をも、境内の末寺の庭にある墓をも一つ一つ検した。日蓮宗の事だから、江戸の市人《いちびと》の墓が多い。……」
これは鴎外の『澀江抽斎』の一節で、抽斎の師となるべき池田京水の墓を探《さが》し歩いたときの記事である。大正四年の暮のことだそうで、そのころ私は十二三になっていた。丁
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