れないと思えるほど、大事そうにそれを抱《かか》えているのが私を悲しませた。のみならず、その籠には何処か孔《あな》でもあいていると見えて、その女の歩いてきた跡には細かいカンナ屑がちらほらと二三片ずつ落ち散っていた。その女はしかし、そんなものも、それから自分を取り囲んでいる村の子供たちをすら殆んど認めていないような、空虚な目つきで、じっと自分の前ばかり見まもりながら、いかにも上機嫌《じょうきげん》そうに、ふらりふらりと歩いていた。――私は村びとの噂にばかり聞いていたその気ちがいの女をこうして目《ま》のあたりに見、そしてそれが私の死んだ母と殆んど同じ年輩で、そのせいか、どこやら私の母と似通っているような気もされてくるや否や、急に私の胸ははげしく動悸《どうき》しだして、どうにもこうにもしようがなくなった。私は暫《しばら》くじっとその場に立ちすくんだきりでいた。そうして、母の死が私に与えた創痍《そうい》も殆んどもう癒《いや》されたように思い慣れていたこんな時分になって、突然、そんな工合にひょっくり私のうちに蘇《よみがえ》ったその苦痛が、今までのよりずっとその輪廓《りんかく》がはっきりしていて、そ
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