もさっきそんな気がしたわ。……やっぱり血筋なのね。……」そう言いかけながら、お照は急に気がついたかのように、「ああ、こうしちゃいられないわ。……また、来ますわ。……じゃ、左様なら。」と言って、性急そうに立ち上ると、すこし蓮葉《はすは》に下駄を突っかけながら、がらりと格子を開けて出ていった。――

「あら、何か忘れものをしていったよ。……何て、まあ、そそっかしやさんなんだろう。……」おばさんはそう口のうちで呟《つぶや》きながら、長火鉢の傍に置き忘れられてある黄いろい表紙の本を取り上げた。字のよく読めないおばさんには、モオパスサンという片仮名だけはわかったが、それがどんな題の、どんなことを書いた本だかは、すこしもわからないのである。……
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     秋

 私は震災後、しばらく父と二人きりで、東京から一里ばかり離れたY村で暮らしていた。その小さな、汚《きたな》い、湿気の多い村は、A川に沿っていた。その川向うは、すぐその沿岸まで、場末のさわがしい工場地帯が延びてきていた。私の父方の親類の家がその村にあったので、私は幼い頃、ときどき父に連れられて写真機などを肩にしては、この辺へ
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